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Person / 人

メアリー・ウォートリー・モンタギュー

Lady Mary Wortley Montagu
AD1689年5月15日 – AD1762年8月21日(享年73)
イギリス重要度 4

概要

公爵の娘。父の書斎で独学しラテン語を身につけた。決められた縁談を拒んで駆け落ちした。1715年に天然痘にかかり、顔に痕が残り、まつ毛を失った。弟は同じ病で死んでいる。夫の大使赴任でイスタンブールに住み、現地の女性が行う接種を見て、五歳の息子に施した。帰国後、娘にも施し、宮廷を説得して普及させた。書簡集は当時の紀行文学として高く評価され、東方の女性を憐れむ視線への反論にもなっている。

関わったできごと(1)

人痘接種AD1721年8月9日 · 持ち込んだ

本文

**メアリー・ピアポント**(1689〜1762年)。

**父——**イーヴリン・ピアポント**、後の**キングストン公爵**。

(**母は、彼女が四歳のときに死んだ**。

**祖母に育てられ、その後、父の家へ**。)

**独学**。

(——**兄弟には、家庭教師が付いた**。

**彼女には、付かなかった**。

**そこで、**父の書斎に、忍び込んだ**。

**そして、**辞書を頼りに、ラテン語を、独りで身につけた**。

〈**十三歳のとき、既に**オウィディウスの翻訳**を試みていた**、と伝えられる**。

**——後に、彼女は、**「わたしは、盗んで学んだ」**という趣旨のことを書いている**。〉)

**結婚**。

(**父が、**アイルランドの子爵**との縁談を決めた**。

**彼女は、**拒んだ**。

**そして——**1712年、**エドワード・ウォートリー・モンタギュー**と、駆け落ちした**。

〈**彼は、**財産の面で、父の望みに合わなかった**。

**——そして、二人は、**幸福な結婚ではなかった**。

**やがて、**別居に近い状態になった**。〉)

**病**。

(**1713年、**弟が、天然痘で死んだ**。**20歳**。

**1715年12月、**彼女自身がかかった**。**26歳**。

**生き延びた**。

**そして**。

〈**顔に、**深い痘痕**が残った**。

**まつ毛が、**すべて抜け、生えてこなかった**。

**——彼女は、**当時、宮廷で最も美しいと言われた女性の一人**だった**。

**その後、**彼女の詩に、この主題が、繰り返し現れる**。

**「そして、**わたしは、鏡から目をそらす**」**という趣旨の一行がある。〉)

**トルコ**。

**1716年、夫が、**オスマン帝国大使**に任じられた**。

(——**イスタンブールへ**。

**そして、彼女は、**当時のヨーロッパの女性が、まず入れない場所**に、入った**。

〈**ハレム、そして、**女性の浴場**。

**——男性の旅行者は、そこを見られない**。

**だから、それまでの記述は、**すべて伝聞と想像**だった**。〉

**彼女が、見たもの**。

(**書簡に、こうある**(要旨)。

**浴場で、**二百人の女性が、裸で、くつろいでいた**。

**そして——**誰も、彼女を、笑ったり、じろじろ見たりしなかった**。

**「彼女たちの中に、**あの侮蔑的な微笑と、囁きあう嘲り**は、無かった。

**——**わたしたちの国の女性たちが、初対面の相手に向けるような**」**。

〈**そして、彼女は、**コルセット**を見せた**。

**トルコの女性たちは、**驚いた**。

**「あなたの夫が、あなたを、この箱に閉じ込めているのか」**と、彼女たちは考えた、と彼女は書いている。〉

**——つまり、彼女は、**「東方の女性は不自由で、われわれは自由である」**という前提を、**ひっくり返した**。

〈**当時としては、極めて珍しい視点である**。

**そして、**エドワード・サイードの『オリエンタリズム』以後の議論でも、**彼女の書簡は、例外的な例として、しばしば取り上げられる**。〉)

**接種**。

**1717年4月1日、手紙**(サラ・チズウェル宛)。

(**要旨**——

**「天然痘は、われわれの国ではあれほど致命的で、あれほど広まっているのに、**ここでは、まったく無害である**。**

**接種**(engrafting)**という方法が、発明されているからだ……**

**わたしは、この実験が十分に安全であることを納得しているので、**

**可愛い息子に、これを試すつもりである」**。

**そして——**「もし、わたしが、この有用な発明をイングランドに持ち帰る力があると分かったら、**

**わたしは、我が国の医師たちに、それを書き送るのに、十分な愛国心を持つだろう**。

**……**しかし、彼らは、それによって収入の相当部分を失うだろうから**、

**……**わたしは、そのために殉教する勇気は、無い**」**。

〈**この皮肉が、そのまま、後に現実になった**。〉)

**1718年3月、五歳の息子エドワードに、接種させた**。

(**大使館付医師**チャールズ・メイトランド**が、立ち会った**。

**——実際に処置をしたのは、**現地の老婆**である**。

〈**メイトランドは、その方法が乱暴なので、**途中から自分で引き継いだ**、と書いている**。〉)

**イギリスへ**。

**1721年**、ロンドンで天然痘が流行した。

**彼女は、**三歳の娘に、接種させた**。

(——**そして、**医師たちを、その場に呼んだ**。

**〈見せるためである。〉**

**そして、**宮廷に働きかけた**。

**ウェールズ皇太子妃キャロライン**が、動いた。

**ニューゲート監獄の実験(1721年8月)、孤児院での試験、そして王女への接種(1722年4月)**。)

**攻撃**。

(——**激しかった**。

**(1)**医師たち**。

〈**「素人が、医学に口を出すな」**。

**そして——**女性である**。**貴婦人である**。**そして、**外国の、しかも異教徒の方法**である**。〉

**(2)**聖職者**。

〈**「神の摂理に、逆らうものである」**。

**——説教が、行われた**。〉

**(3)**そして、パンフレット合戦**。

**彼女は、**匿名で、反論を書いた**(1722年、『ザ・フライング・ポスト』)。

**「トルコの商人による、種痘についての一般的論説」**。

〈**そこで、彼女は、**医師たちが処置を複雑にして危険にしている**と指摘した**。

**——瀉血、下剤、そして「準備」の期間**。

**「トルコの女たちは、そんなことはしない。**ただ、刺すだけである**」**。〉)

**その後**。

(**1739年、**単身、イタリアへ渡った**。

**——**フランチェスコ・アルガロッティ**という若い男への恋が、理由の一つとされる**。

**そして、**二十年以上、イタリアとフランスに住んだ**。

**夫と、生涯、再会しなかった**(夫は1761年に死んだ)。

**1762年、**イギリスへ戻った**。

**そして、その年の8月、**乳がんで死んだ**。**73歳**。)

**書簡**。

(**『トルコ大使館書簡集』**——**彼女の死の翌年、1763年に出版された**。

〈**遺族が、出版を止めようとした**。

**——写しが、既に出回っていた**。〉

**ヴォルテール、ジョンソン、ギボンが、絶賛した**。

**——18世紀の英語散文の、傑作の一つとされる**。)

**息子**。

(**エドワード・ウォートリー・モンタギュー・ジュニア**——**世界で最初に人痘接種を受けたイギリス人**である**。

**そして、**極めて奇矯な生涯を送った**。

〈**何度も家出し、イスラームに改宗し、東方を放浪し、重婚し、詐欺で訴えられた**。

**——母は、彼について、絶望的な手紙を、繰り返し書いている**。〉)

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