概要
ボローニャの地主の子、母はアイルランドのウイスキーの家(ジェムソン)。大学に行かなかった。屋根裏でヘルツの実験を真似て、1895年、2キロ。イタリア政府は興味を示さず、ロンドンへ。1897年、会社。1901年、大西洋。1909年、ノーベル賞。タイタニックの生存者はマルコーニの無線で助かった。1920年代、短波。ファシスト党員、ムッソリーニの上院議員。発明したのは彼でなく(テスラ、ポポフ、ボース)、事業にしたのは彼。
関わったできごと(1)
マルコーニの大西洋横断無線AD1901年12月12日 · 聞いた本文
1874年、ボローニャ。父ジュゼッペは地主、母アニーはアイルランドのジェムソン(ウイスキー)の家。イタリア語と英語。学校は嫌いで、家庭教師。リヴォルノで物理学者ローザに習った。1894年、ヘルツの死亡記事でヘルツの電波を知って、屋根裏で実験した。1895年、庭で1.5キロ、丘の向こうへ(兄が銃で合図した)。
イタリアの郵政省に手紙を書いた。返事はなかった(「ロンガーラ(精神病院)へ」と書かれた、と伝えるが、確かでない)。1896年2月、母と、ロンドンへ。郵政省の技師長プリースが助けた。1896年、特許。1897年、無線電信信号会社(後のマルコーニ社)。ソールズベリー平原で6キロ、ブリストル海峡で14キロ。1898年、ダブリンでヨットレースの実況。ヴィクトリア女王とワイト島の皇太子の間の連絡。1899年、英仏海峡。1901年、大西洋。1902年、記録装置で確認。1907年、大西洋横断サービス。1909年、ノーベル物理学賞(ブラウンと。「理論なしの発明家」に物理学賞、と批判された)。1912年、タイタニック。1914年、上院議員(イタリア)。
第一次大戦、イタリア陸軍・海軍の無線。1919年、パリ講和会議のイタリア全権。1920年代、短波(ビーム方式。イギリスの帝国通信網)。1930年、王立アカデミー会長。ムッソリーニ。1923年、ファシスト党員。1929年、侯爵。1930年代、マイクロ波。
私生活。1905年、アイルランド貴族の娘ベアトリス・オブライエンと結婚、1924年に離婚(バチカンに婚姻無効を認めさせた)。1927年、マリア・クリスティーナ・ベッツィ=スカーリと再婚。ヨット「エレットラ」で暮らして実験した。
1937年7月20日、ローマ。心臓発作。63歳。世界中の無線局が2分間、沈黙した。BBCも。
「発明したのは誰か」。テスラ(1893年から無線を実演。1943年、アメリカ最高裁はマルコーニの特許をテスラの特許で無効にした)、ポポフ(1895年、ロシア)、ボース(1895年、カルカッタ)、ロッジ(1894年、オックスフォード。コヒーラ)、ブランリー(コヒーラ)。マルコーニは、それを、船と海と会社と特許で、事業にした。