概要
ノルマンディーの農家の生まれ。海軍士官となり、革命下で王党派の言動により亡命した。アメリカでニューヨーク市の技師を務め、1799年に渡英する。ポーツマス工廠に、滑車を大量生産する機械の系列を据えた。四十五人の熟練工の仕事を、十人の未熟練工で置き換えた。工場の機械化の初期の例である。製靴機械の事業で破産し、債務者監獄に入った。テムズ・トンネルのシールド工法を考案し、十八年かけて完成させた。
関わったできごと(1)
テムズ・トンネルAD1843年3月25日 · 設計本文
**マルク・イザムバード・ブルネル**(1769〜1849年)。
**ノルマンディー、アシー**の生まれ。**裕福な農家**。
(——**父は、**息子を、**司祭にしようとした**。
〈**——**神学校に、入れた**。
**そして、**教師が、**「この子は、数学と製図しかしない」**と、父に告げた**。
**——**父が、諦めた**。〉
**そして、**海軍に入った**(1786年)。
〈**——**六年、西インド諸島の航路にいた**。
**そして、**そこで、**器用さと、機械の才を、示した**。〉)
**亡命**。
(——**1792年、パリ**。
**革命の、最中である**。
〈**——**彼は、**王党派だった**。
**そして、**公然と、そう言った**、と伝えられる**。
**——**危険になった**。〉
**1793年7月、**アメリカへ、逃げた**。
〈**——**その船で、**偽の身分証明を、自分で作った**、という逸話がある**。〉
**アメリカ**。
〈**——**測量士として、働いた**。
**そして、**ニューヨーク市の、主任技師**になった**(1796年)。
**——**大砲の鋳造所、劇場、そして港の防御**を、設計した**。〉
**そして、**ある夕食の席で、**イギリス海軍の話を聞いた**。
〈**——**「軍艦一隻に、**滑車が、千個以上、要る**」**。
**「そして、それを、**手で、作っている**」**。
**——**年間、**十万個以上**が要る**。〉)
**ポーツマス**。
(**1799年、**イギリスへ渡った**。
**そして、**海軍本部に、**売り込んだ**。
〈**——**最初、**相手にされなかった**。
**そして、**海軍の技師、サミュエル・ベンサム**(哲学者ジェレミー・ベンサムの弟)**が、**採用した**。〉
**1802年から1806年、**ポーツマス工廠**。
**——**滑車製造の、機械の系列**。
〈**——**四十五台の機械**を、**三つの工程に分けて、並べた**。
**そして、**それぞれの機械が、**一つの動作だけをする**。
**——**木材を、切る。穴を開ける。溝を掘る。形を整える**。
**そして、**水車(後に蒸気機関)で、**全部を、動かす**。
**——**結果**。
**〈それまで、**熟練の職人、110人**が必要だった仕事を、**
**——**未熟練の労働者、10人**で、こなせるようになった。**
**そして、**年に、13万個**。〉**
**——**世界で最初の、**完全に機械化された、大量生産の工場の一つ**とされる**。
**〈——製造した機械は、**ヘンリー・モーズリー**(工作機械の父)である。**
**そして、これらの機械の一部は、**1960年代まで、稼働していた**。〉**
**そして、彼は、**それに対する報酬を、**なかなか、払ってもらえなかった**。
〈**——**訴えて、**ようやく、17,000ポンドを得た**。〉)
**破産**。
(——**その後、**製材所、**製靴機械**、**印刷機**、**そして、他の事業**。
**製靴機械**。
〈**——**ナポレオン戦争の、軍靴を作るため**。
**——**成功した**。
**そして、**戦争が、終わった**。
**——**注文が、消えた**。
**〈——大量の在庫と、負債が、残った。〉**〉
**1821年5月、**債務者監獄**(キングズ・ベンチ)に、入った**。
**——**妻ソフィアも、**一緒に入った**。
〈**——**当時、そういうことがあった**。〉
**十一週間**。
**——**そして、**出られた理由**。
〈**——**ロシア皇帝アレクサンドル1世**が、**彼を、ロシアに招こうとした**。
**〈——サンクトペテルブルクのネヴァ川に、橋を架ける計画があった。〉**
**——**イギリス政府が、**慌てた**。
**「彼を、外国に、取られてはならない」**。
**——**5,000ポンドを、**議会が、支出した**。
**〈借金を、肩代わりした。〉**〉)
**トンネル**。
(**1818年、**シールドの特許**。
**1825年、着工**。
**そして、**十八年**。
〈**——**五度の浸水**。
**——**六人以上の死者**。
**——**七年の中断**。
**そして、**1842年、彼自身が、脳卒中で倒れた**(工事の、最終盤である)。
**——**それでも、**1843年3月25日、開通**。〉
**——**そして、**その年、**ナイト爵**を受けた**。〉)
**息子**。
(**イザムバード・キングダム・ブルネル**(1806〜1859年)。
〈**——**父が、**フランス式の教育**を受けさせた**。
**〈パリのアンリ4世学校。**
**——そして、時計職人のブレゲの下で、修業させた。〉**
**そして、**二十歳で、**テムズ・トンネルの現場主任**になった**。
**——**1828年の浸水で、**流されて、重傷を負った**。
**そして、療養先のブリストルで、**クリフトン吊り橋の設計競技**に、応募した**。
**——**そこから、**グレート・ウェスタン鉄道**、**グレート・ブリテン号**(世界初の、鉄製・スクリュー推進の大西洋横断船)、**そして、グレート・イースタン号**。
**〈——後に、大西洋横断ケーブルを敷いた、あの船である。〉**
**——**イギリスで、**最も有名な技師**になった**。〉
**——**父と息子で、**19世紀のイギリスの土木を、作った**。〉)
**死**。
(**1849年12月12日**。**八十歳**。
**——**トンネルの開通から、**六年後**である**。〉)