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Person / 人

ルカ・パチョーリ

Luca Pacioli
AD1447年頃 – AD1517年6月19日(享年70・推定)
イタリア重要度 4

概要

ボルゴ・サンセポルクロ。画家ピエロ・デッラ・フランチェスカに幾何を学び、フランシスコ会士になり、各地の大学で数学を教えた。1494年『スンマ』(算術、代数、そして複式簿記)。1497年からミラノで、レオナルド・ダ・ヴィンチと同居した。『神聖比例論』(黄金比。挿絵はレオナルド)。「会計の父」。

関わったできごと(1)

複式簿記の刊行AD1494年 · 書いた

本文

1447年頃、トスカーナのボルゴ・サンセポルクロ。同じ町に、画家ピエロ・デッラ・フランチェスカがいた。パチョーリは少年の頃、彼の工房で、幾何と遠近法を学んだ(ピエロは『絵画の遠近法について』『五つの正多面体について』を書いた数学者でもあった)。

ヴェネツィアへ。商人アントニオ・ロンピアージの息子3人の家庭教師として住み込み、商業の実務(帳簿、為替、両替)を見た。夜、数学を学んだ。1470年、彼らのための代数の教科書を書いた(失われた)。

ローマ。レオン・バッティスタ・アルベルティの家に住んだ(建築家で人文学者。『絵画論』『建築論』)。アルベルティが教皇庁に紹介した。1470年代、フランシスコ会に入った。ペルージャ、ザーラ、ナポリ、ローマ、ピサ、ボローニャの大学で数学を教えた。

1494年11月10日、ヴェネツィア、パガニーノ・デ・パガニーニ印刷所。『スンマ・デ・アリトメティカ、ジェオメトリア、プロポルツィオーニ・エ・プロポルツィオナリタ』。約600ページ。イタリア語(トスカーナ方言に、ヴェネツィアの商業用語が混ざる)。当時の数学の全て——算術、代数(3次方程式は「不可能」と書いた。30年後にタルタリアが解く)、幾何、比例、両替、そして「計算と記録の詳論」(複式簿記)。ウルビーノ公グイドバルド・ダ・モンテフェルトロに献呈。

1496年、ミラノ。ルドヴィーコ・スフォルツァの宮廷。レオナルド・ダ・ヴィンチと同じ家に3年住んだ。レオナルドは彼から幾何を学び(レオナルドのノートに、パチョーリの本から写した図と計算がある)、パチョーリの『神聖比例論(デ・ディヴィナ・プロポルティオーネ)』(1498年執筆、1509年刊)の挿絵——60の多面体を、透明な骨組みと、面のある形で——を描いた。黄金比を「神聖な比」と呼んだのは、この本から。

1499年、フランス軍がミラノを取り、二人はフィレンツェへ逃げた。パチョーリはピサとボローニャで教え、1510年、故郷サンセポルクロの修道院長。1517年6月19日、死んだ。70歳。

肖像画。ナポリのカポディモンテ美術館。『修道士ルカ・パチョーリの肖像』(1495年頃、ヤコポ・デ・バルバリ作、とされる)。机の上にユークリッドの本と、コンパスと、チョークと、石板(そこに「EUCLIDES」と書かれ、幾何の図がある)。天井から、水を半分入れたガラスの菱形二十六面体が吊るされ、そこに窓と街が映っている。右に、若い貴族(ドイツの画家デューラーだ、という説もある)。

「会計の父」。彼は複式簿記を発明しなかったが、それを本にした人として、いま世界中の会計士の団体に名前がある。