ルイ・ブライユ
概要
パリ近郊クーヴレの馬具職人の子。3歳のとき、父の仕事場で錐を扱って左目を突き、感染が右目にも及んで、5歳で完全に失明した。10歳で王立盲青年学校へ。当時の教材は、紙に文字の形を浮き出させた重い本で、読めても書けなかった。15歳で6点の体系を作り、20歳で最初の解説書を出した。学校の教師になり、オルガンを弾き、パリの教会のオルガニストを務めた。結核で43歳で死んだ。1952年、遺骨がパンテオンに移された。両手だけは、故郷の墓に残された。
関わったできごと(1)
点字の考案AD1824年 · 考えた本文
ルイ・ブライユは1809年1月4日、パリの東40キロほどの村クーヴレに生まれた。父シモン=ルネは馬具を作る職人で、ルイは4人きょうだいの末っ子だった。

1812年、3歳のルイは父の仕事場で遊んでいて、革に穴を開ける尖った道具を手に取った。父のまねをして革に突き立てようとしたとき、手が滑り、刃先が左目に刺さった。手当ては受けたが、傷は化膿した。やがて炎症は傷ついていない右目にも及び、5歳になるころには両目とも光を失っていた。片方の目の傷がもう一方の目に炎症を起こすことは、いまでは交感性眼炎として知られている。
村の司祭ジャック・パリュイと学校の先生は、この子の賢さに気づいた。ルイは見えないまま村の学校に通い、耳で聞いて覚え、級でも指折りの生徒になった。1819年、10歳のとき、奨学金を得てパリの王立盲青年学校に入った。

この学校は、ヴァランタン・アユイが1780年代に開いた、目の見えない子どもたちのための世界で最初の学校である。ただ、建物は古く湿っていて、食事は乏しく、規律は厳しかった。生徒たちは、紙の裏から押して浮き出させた大きなラテン文字の輪郭を、指でたどって読んだ。一冊が何キロもある大きな本で、学校の蔵書はわずかしかなかった。読むのはひどく遅く、何より、自分で書くことができなかった。
1821年、砲兵の将校だったシャルル・バルビエが学校を訪れ、「夜間文字」と呼ばれる方式を紹介した。暗闇でも兵士が命令を読めるようにと考えられたもので、縦に並ぶ最大12個の点の組み合わせで、フランス語の音を表す。尖った道具で紙を突けば、自分で書くこともできた。生徒たちは飛びついたが、欠点も多かった。一つの文字が指先より大きく、指を動かさないと読めない。音を表すだけなので綴りが書けず、数字も句読点もない。
12歳のブライユは、この方式の改良に取りかかった。点を縦3つ横2列の6つに減らし、指の腹を動かさずに一度で触れられる大きさにした。6つの点のあるなしで、63通りの組み合わせが作れる。そこにアルファベット、句読点、数字、さらに楽譜の記号を割り当てた。1824年、15歳で体系はほぼ形になった(点字の考案)。1829年、20歳のとき最初の解説書を出し、1837年の改訂版で、いまの点字とほぼ同じ形に整えた。

彼は19歳で学校の助手になり、やがて正式な教師として、文法、地理、算数、音楽を教えた。音楽の才能にも恵まれ、オルガンとチェロを弾き、パリのいくつかの教会でオルガン奏者を務めた。生徒たちには、穏やかで辛抱強い先生として慕われた。
点字は、すぐには受け入れられなかった。見える人には読めない文字を使えば、目の見えない人が社会から切り離されてしまう、という考えが根強かったのである。1840年ごろ、学校の新しい校長は点字の使用を禁じ、点字で書かれた本を焼かせたとも伝えられる。生徒たちは隠れて使い続けた。1844年、学校が新しい建物に移った式典で、生徒が点字ですらすら読み書きしてみせ、その後、点字の使用は事実上認められるようになった。

ブライユは20代半ばから結核に苦しみ、血を吐くことを繰り返した。湿った校舎と乏しい食事が、病を重くしたと考えられている。しだいに教壇に立てなくなり、故郷とパリを行き来しながら療養した。1852年1月6日、43歳の誕生日の2日後に、パリで死んだ。学校が彼の点字を正式に採り入れたのは、その2年後の1854年である。
点字はその後、ヨーロッパからアメリカへと広がった。アメリカではいくつもの方式が争ったが、最終的にはブライユの方式に落ち着いた。日本では1890年11月1日、東京盲唖学校の教員石川倉次が考えた、かなを6つの点に割り当てる日本語の点字が採用された。いまもこの日は「点字の日」とされている。日本の盲教育は、それより先に京都で始まっていた(京都盲唖院)。目と耳の両方が不自由だったヘレン・ケラーも、点字で本を読み、学んだ一人である。
1952年、死から100年を記念して、ブライユの遺骨は故郷クーヴレの墓地から、パリのパンテオンに移された。フランスの偉人たちが眠る場所である。このとき村の人々は、せめて手だけは村に残してほしいと願った。点字を生んだ彼の両手の骨は、いまもクーヴレの家族の墓に眠っている。彼の名は多くの言語で、そのまま「点字」を意味する言葉になった。