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Person / 人

劉裕

Liu Yu
AD363年 – AD422年(享年59・推定)
宋(南朝)重要度 4

概要

京口の貧しい家。草鞋を売り、博打で借金をした。北府兵の兵卒。孫恩の乱で数十人で数千を破った。桓玄を倒し、南燕、後秦、譙蜀を滅ぼし、長安に入った。60歳で皇帝。2年で死んだ。「寄奴」の名で辛棄疾が「金戈鉄馬、気は万里を吞む」と詠んだ。

関わったできごと(1)

劉裕の宋建国AD420年 · 皇帝

本文

劉裕。徳輿。寄奴。 363年。京口。丹徒。 「彭城の劉氏。漢の楚元王交の21世の孫」。 「母趙氏が産んで死んだ。父劉翹は乳がなく、捨てようとした。叔母が育てた。寄奴」。 「身長七尺六寸」。「博打」。「刁逵に3万銭」。 北府兵。孫無終の司馬。 399年、孫恩。「数十人で偵察に出て、数千人に会い、戦って、崖から落ちて、上って、叫んで、追った」。 「劉牢之の子劉敬宣が見に行って、『一人で数千を追っている』」。 402年、桓玄。 404年、京口。1700人。桓脩を殺した。 「桓玄は、『劉裕は英雄だ』と言って、家臣に『気をつけろ』と言った」。 「桓玄が逃げた。江陵。殺された」。 405年、安帝を戻した。 409年、南燕。「慕容超が、晋の民を捕えて、楽人にした」。臨朐。広固。慕容超を建康で斬った。 410年、盧循。「徐道覆と10万で建康に」。「劉裕は帰って、石頭城で」。 411年、盧循が死んだ。 412年、劉毅。「盧循と共に劉裕を除こうとした」。荊州。劉毅は首を吊った。 413年、譙縦。蜀。朱齢石。 415年、司馬休之。荊州。 416年、後秦。「姚興が死んだ」。王鎮悪、檀道済。洛陽。 417年、潼関。長安。「王鎮悪が渭水から」。姚泓。「却月陣」。 「長安の父老が『100年ぶりに晋の官を見た』」。 劉穆之が死んだ。建康。「帰る」。 「劉義真、12歳、王鎮悪、沈田子」。 418年、沈田子が王鎮悪を殺し、王脩が沈田子を殺し、劉義真が王脩を殺し、赫連勃勃が来て、劉義真は逃げた。 「劉裕は、長安の失われたのを聞いて、北伐に出ようとして、やめた」。 418年12月、安帝を絞め殺した。「昌明の後に二帝」の讖のため、恭帝を立てた。 420年6月、禅譲。 「恭帝は喜んで詔を書いた。『晋は桓玄で終わっていた。劉公が20年延ばした』」。 421年9月、恭帝。「毒は飲まない。仏教徒は自殺しない」。布団。 422年5月、死んだ。60歳。 「初寧陵」。南京。 「宋武帝」。 「彼は、自分の子を、貴族でなく、寒門の人に教育させた」。 「彼は、金の宝を、飾らなかった」。「宮殿の壁に、彼の草鞋と、農具を、掛けさせた」。「孫の孝武帝がそれを見て、『農民の家の物だ』と笑った」。 「南朝の寒門の皇帝」。 「北伐で長安まで。南朝の誰もできなかった」。 辛棄疾が、京口の北固亭で。 「寄奴曾住」。