概要
タングートの首長が、宋の姓を捨て、文字を作らせ、皇帝を称した。宋と三度戦って勝ち、和議で銀と絹を取る。息子の妻を奪い、その息子に鼻を削がれて死んだ。
所属
西夏関わったできごと(1)
西夏文字の制定AD1036年 · 命じた本文
タングートの首領の家に生まれた。 祖父と父は宋から趙の姓を与えられ、節度使として河西を治めていた。
父の死後、姓を宋のものから嵬名に戻し、 髪を剃って独自の髪型を法で定め、文字を作らせた。 1038年に皇帝を称して、宋に対等の書簡を送った。
宋は三度大軍を送り、三度負けた。 三川口、好水川、定川寨。 1044年の和議で、宋は年に銀5万両と絹13万匹、茶2万斤を贈ることになった。 名目は「賜与」で、実質は買った平和だった。
晩年は暴君として書かれる。 息子の妃を奪って自分の妃にした。 1048年、その息子の寧令哥に鼻を削がれ、翌日死んだ。 46歳だった。