概要
ヘントの靴直しの子。父は読み書きができず、息子を靴屋にしたがった。母が反対し、夜学に通わせた。21歳で博士号。1889年、新婚旅行でアメリカへ渡り、そのまま住んだ。暗室でなくても扱える印画紙ヴェロックスを発明し、コダックのイーストマンに売った。額は自分の想定の何倍かだったと後に語っている。その金で自宅に研究室を建て、1907年、ベークライトに至った。晩年は隠遁的になり、缶詰ばかり食べて過ごしたと伝えられる。
関わったできごと(1)
ベークライトと合成樹脂AD1907年 · 作った本文
1863年11月14日、ベルギー、**ヘント**。
父**カレル**——**靴の修理職人**。**読み書きが、できなかった**。
母**ロザリア**——**家政婦**。
**衝突**。
父は、息子を**靴屋の徒弟**に出した。13歳。
(それが、彼の考える、子のためになる道だった。)
母が、反対した。
彼女が主張して、レオは**夜学**に通った。昼は働き、夜は学ぶ。
(彼は、後に、母について繰り返し語っている。「**私の人生を決めたのは、母の意志である**」。)
**学業**。
17歳、**ヘント大学**に、奨学金で入学。
**21歳**——**博士号**(化学、最優等)。
24歳、同大学の**准教授**。
(同時に、恩師の娘**セリーヌ・スワーツ**と婚約した。)
**アメリカ**。
**1889年**、彼は旅行奨学金を得て、**新婚旅行を兼ねて**、アメリカへ渡った。
そこで、写真化学の会社**アンソニー社**(後のアグファ・アンスコ)の経営者に会い、**職を勧められた**。
**彼は、ベルギーに帰らなかった**。
(大学の職を、辞した。妻の父〈彼の恩師〉が、激怒した、と伝えられる。)
**ヴェロックス**。
数年、勤めた後、独立した。
**問題**——当時の印画紙は、**日光でしか焼けない**。
(**プリント・アウト・ペーパー**。日光に長時間当てて、像が現れるのを待つ。
曇りの日と、冬と、そして夜は、作業できない。)
彼が作ったのは——**現像式の、感度の高い印画紙**。
**ガス灯の光でも、焼ける**。
つまり、**暗室で、いつでも、大量に作業できる**。
**1893年**、ヌペラ化学会社を設立。
(当初、売れなかった。**破産寸前**まで行った。
——転機は、ある写真館が、**大量の注文**を出したことである。彼らは、日光に頼らない印画紙を必要としていた。)
**1899年**。
彼は、これを**イーストマン・コダック**に売りに行った。
**逸話**。
彼は、**5万ドル**を要求するつもりだった(「25,000ドルでも受けよう」と、道中で考えていた、と後に語っている)。
部屋に入り、口を開く前に——
**ジョージ・イーストマン**が、先に言った。
「**75万ドルで、どうかね**」。
(〈額については、100万ドル、あるいは総額でそれ以上という説もある。彼自身の回想と、後世の伝記で数字が揺れている。〉
いずれにせよ、彼の想定を、**大きく超えていた**。)
**研究室**。
彼は、その金で、ニューヨーク州**ヨンカーズ**の自宅(「スノー・ハウス」)に、**研究室を建てた**。
**36歳**。
**もう、働く必要は、ない**。
彼は、**自分の好きな問題を、選んだ**。
**探索**。
彼が選んだのは、**フェノールとホルムアルデヒドの反応**である。
(既に知られていた。バイヤーが1872年に報告している。
**しかし、誰も、使えるものを作れなかった**。
反応が激しく、制御できない。できるのは、**脆く、溶けず、扱えない塊**である。
多くの化学者が、**これを避けていた**。)
**彼が、そこへ行った理由**。
**シェラック**の代替を、探していた。
(電気の絶縁体。当時、虫の分泌物に依存していた。
**代替品には、大きな市場がある**。)
**方法**。
彼が持ち込んだのは、**制御**である。
**ベークライザー**——彼が設計した、圧力容器。
- **圧力をかける**(そのため、水が沸騰せず、より高い温度で反応させられる)。 - **温度を、段階的に、制御する**。 - **反応を、途中で止められる**。
(三つの段階がある。A段階〈溶ける〉、B段階〈半硬化〉、C段階〈完全に硬化。**二度と溶けない**〉。
**この段階を、制御できたことが、鍵である**。
途中の段階で、型に入れ、そこで完全に硬化させる。だから、**成形できる**。)
**1907年6月18日**、彼の実験ノートに、成功の記述がある。
(そのノートは、いまスミソニアン協会にある。)
**1907年7月13日**、特許を出願。
**1909年2月5日**、アメリカ化学会ニューヨーク支部で、発表した。
(彼は、大量の試料を持って行き、参加者に配った。)
**事業**。
1910年、**ゼネラル・ベークライト社**を設立。
(自ら経営した。特許を守るために、多くの訴訟を戦った。)
**宣伝**の標語——「**千の用途を持つ素材**」。
そして、商標——**無限大の記号(∞)の上に、Bの字**。
**1924年**、彼は『**タイム**』誌の**表紙**になった。
見出し——「**それは、溶けない**」。
**性格**。
彼は、**極めて几帳面**だった。
(生涯、日記と実験ノートを、詳細に付け続けた。数十冊が残っている。
そこには、実験だけでなく、**天候、体重、食事、そして機嫌**まで、記録されている。)
同時に、**社交を嫌った**。
**晩年**。
1939年、会社を**ユニオン・カーバイド**に売却した(推定1,650万ドル)。
以後、彼は、**次第に、人と会わなくなった**。
フロリダのココナッツ・グローヴの邸宅に籠った。
伝えられる晩年の様子——
- **缶詰ばかりを食べた**。(食器を洗うのを、嫌ったから、とされる。) - 家中に、書類と、器具と、そして缶が積まれていた。 - 妻と、子と、疎遠になった。
**1944年2月23日**、老人性認知症のため入院していたニューヨーク州ビーコンの施設で、脳出血により死去。**80歳**。
**その後**。
彼の孫**ブルックス・ベークランド**の家族に、悲惨な事件が起きた。
**1972年**、ロンドン。ブルックスの息子**アントニー**が、母**バーバラ**を、刺殺した。
(この事件は、複数の本と、2007年の映画『**Savage Grace**』になっている。)
**遺したもの**。
**ベークライトそのものは、いまほとんど使われていない**。
(より優れた樹脂に、置き換えられた。
——ただし、電気の絶縁部品と、鍋の柄など、一部で使われ続けている。)
**残ったのは、考え方である**。
**「天然にない物質を、設計して、作ることができる」**。
そして——
**「それは、分解されない」**。
1993年、アメリカ化学会が、ベークライトを**国定歴史化学ランドマーク**に指定した。
その銘板の文に、「**プラスチックの時代の始まり**」とある。