概要
ジャマイカのキングストンに生まれ、1967年にブロンクスへ移った。故郷のサウンドシステムの流儀と、大音量の装置を持ち込んだ。1973年8月11日の妹の催しで、曲の打楽器だけの部分を二枚のレコードでつなぐ手法を見せた。そこで踊る者をブレイクボーイと呼んだ。1977年に刺されて以後は表に出ることが減り、後に医療費の工面が問題になった。
所属
アメリカ合衆国関わったできごと(1)
ヒップホップの誕生AD1973年8月11日 · 回した本文
**クライヴ・キャンベル**(1955年生)。
**ジャマイカ、キングストン**の生まれ。
(**トレンチタウンの近く**で育った。
——**ボブ・マーリーが育った地区の、すぐそばである**。)
**ジャマイカで、見たもの**。
**サウンドシステム**。
(——**街頭に、巨大なスピーカーを積んだ装置を持ち出して、音楽を鳴らす**。
**それを持つ者が、地区の名士である**。
**コクソン・ドッド、デューク・リード**。
**そして、装置と装置が、競い合う**(サウンドクラッシュ)。
〈**選曲**(セレクター)と、**その上で語る者**(ディージェイ、あるいは「トースティング」)。
——**この形が、そのままブロンクスへ運ばれた**。〉
**「わたしは、6歳の頃から、それを見ていた」**、と彼は語っている。)
**移住**。
**1967年、12歳**。
**ニューヨーク、ブロンクス**へ。
(**母が先に来ていた**。
——**ジャマイカ訛りを、からかわれた**。
**そして、走るのが速く、体が大きかった**。
**あだ名が「ヘラクレス」になった**。
〈**その名を、自分では気に入らなかったが、縮めて「ハーク」を名乗った**。
**そして、グラフィティを描いていた頃の名が「CLYDE AS KOOL」**。
——**合わせて、Kool Herc**。〉)
**装置**。
(**父ケイトンが、地元のバンドのために、音響装置を買った**。
**誰も、正しくつなげなかった**。
**息子が、つないだ**。
——**そして、それを使う権利を、得た**。
〈**シュア社のコラム・スピーカーと、大出力のアンプ**。
**その音の大きさが、評判になった**。〉)
**1973年8月11日**。
**妹シンディの企画した催しで、彼が音を出した**。
(**セジウィック街1520番地、地下の集会室**。
**入場料25/50セント**。
——**この日が、ヒップホップの誕生日とされる**。
〈**「その日に何かが発明された」というより、後から選ばれた記念日である**、という見方もある。
**それでも、当事者たちが、その日を指している**。〉)
**メリーゴーラウンド**。
(**同じレコードを二枚使い、打楽器だけの部分(ブレイク)を、つないで延ばす**。
——**技術は、粗かった**。**拍は、揃わなかった**。
**それでも、踊り手が、待っていたものを、与えた**。
〈**彼が好んだレコード**——
ジェームズ・ブラウン『Give It Up or Turnit a Loose』、
インクレディブル・ボンゴ・バンド『Apache』、
ベイビー・ヒューイ『Listen to Me』、
ジミー・キャスター『It's Just Begun』。
——**そして、彼は、レコードのラベルを剥がした**。
**誰にも、曲名を知られないため**である。〉)
**言葉**。
(**彼自身は、長く韻を踏まなかった**。
**「これは、ハーク、ハーク、ハーク・ザ・サウンド」**のような、短い掛け声を入れた。
——**その相方が、コーク・ラ・ロック**。
**「エムシー」の、最初の形とされる**。
〈**ジャマイカのトースティングの、直接の子孫である**。〉)
**そして、名づけた**。
**「b-boys」**。
(——**break boys**。**ブレイクで踊る少年たち**。
**そして、b-girls**。
〈**「break」には、もう一つの意味が重ねられていた**、と彼は語る。
**「break out」——**熱くなって、我を忘れる**。〉)
**衰退**。
**1977年**。
**自分の催しの会場で、刺された**。
(——**喧嘩の仲裁に入って、三か所を刺された**。
**生き延びた**。
**しかし、以後、公の場に出ることが、減った**。)
**そして、彼が現場から離れている間に、ヒップホップは、商売になった**。
(**1979年、『Rapper's Delight』**。
**1980年代、レコード会社と、契約と、興行**。
——**彼は、そのどこにも、いなかった**。
〈**録音を、ほとんど残していない**。
**彼の全盛期は、記録されなかった**。〉)
**その後**。
(**1980年代、薬物に苦しんだ時期がある**、と本人が語っている。
**その後、回復した**。
**父の跡を継いで、しばらく建設の仕事をした**。)
**そして、語り部になった**。
(**ジェフ・チャンの『Can't Stop Won't Stop』**(2005年)に、序文を寄せた。
**そこで、彼は、こう書いた**。
**「ヒップホップは、あらゆる人のためのものだ。ヒップホップの精神は、みんなの精神だ。……ヒップホップは、招待状だ」**。
**そして、こうも言った**。
**「ヒップホップは、『わたしたち』ということだ。『わたし』ではない」**。)
**2011年**。
**健康を害した**(腎臓結石)。
**医療費が、払えなかった**。
(——**保険が無かった**。
**支援の呼びかけが、行われた**。
〈**この一件が、アメリカの医療保険の問題として、報じられた**。〉)
**2023年**。
**ロックの殿堂入り**(Musical Influence Award)。
**ヒップホップ50周年の年である**。
(——**授賞式で、彼は、妹のシンディに触れた**。
**「あの日、彼女がいなければ、何も無かった」**。)