概要
仁孝天皇の娘、孝明天皇の妹。有栖川宮との婚約を解かれて将軍家茂に嫁いだ。「惜しまじな君と民とのためならば身は武蔵野の露と消ゆとも」。家茂が死んで静寛院。江戸攻めのとき徳川家の存続を嘆願した。31歳で死に、家茂の隣に葬られた。
所属
日本関わったできごと(1)
和宮降嫁AD1862年3月11日(文久2年2月11日) · 降嫁本文
親子内親王。 「ちかこ」。 1846年。 仁孝天皇の、 第八皇女。 「和宮」。 父は、 生まれる、 前に、 死んだ。 兄が、 孝明天皇。 1851年、 6歳。 有栖川宮熾仁親王と、 婚約。 「17歳」。 1860年。 「降嫁」。 「拒んだ」。 「江戸に、 行くなら、 尼に」。 「兄が、 『私が、 退位する』」。 「承知した」。 「条件」。 「攘夷」。 「10年以内」。 「江戸城の、 中で、 京の、 慣習を」。 「御所の、 言葉」。 「畳」。 「化粧」。 「大奥は、 それを、 嫌った」。 「天璋院」。 「篤姫」。 「上座」。 「和宮は、 天皇の、 妹。 篤姫は、 将軍の、 母(義理)」。 「どちらが」。 「和宮の、 初めての、 江戸城の、 挨拶で、 篤姫は、 上座に、 座って、 和宮の、 座布団を、 用意しなかった」。 「そう、 伝える」。 「和宮の、 側が、 そう、 書いた」。 1862年、 結婚。 家茂。 「16歳」。 「家茂は、 和宮を、 大切にした」。 「そう、 言われる」。 「上洛の、 前に、 和宮に、 『土産は、 何が、 いい』」。 「『西陣の、 織物を』」。 「家茂は、 それを、 買って、 大阪で、 死んだ」。 「1866年7月」。 「織物は、 和宮に、 届いた」。 「空蝉の、 唐織り衣、 なにかせん、 綾も錦も、 君ありてこそ」。 「静寛院宮」。 「落飾」。 1868年。 「東征軍」。 「江戸」。 「徳川の、 存続を」。 「和宮は、 朝廷に、 橋本実麗(叔父)を、 通して、 嘆願」。 「私は、 徳川に、 嫁いだ。 徳川と、 共に」。 「篤姫も」。 「西郷に」。 「二人は、 それまで、 仲が、 悪かった」。 「同じ、 ことを、 した」。 「江戸城は、 明け渡された」。 「無血」。 「和宮の、 嘆願が、 どれだけ、 効いたか」。 「勝と、 西郷の、 交渉が」。 「両方」。 1869年、 京へ、 帰った。 「7年ぶり」。 1874年、 東京へ。 「天皇(甥)の、 求めで」。 「麻布」。 1877年9月2日。 「箱根」。 「塔ノ沢」。 「脚気」。 「療養」。 「死んだ」。 「31歳」。 「遺言」。 「家茂の、 隣に」。 「増上寺」。 「京に、 帰らず」。 1958年。 「増上寺の、 徳川の、 墓の、 調査」。 「鈴木尚」。 「和宮の、 棺」。 「遺骨の、 左手に、 湿板写真」。 「若い、 男」。 「烏帽子、 直垂」。 「家茂か、 熾仁親王か」。 「翌日、 写真は、 乾いて、 消えていた」。 「誰も、 確かめられなかった」。 「そう、 伝える」。 「本当かどうか」。 「和宮の、 遺骨の、 左手には、 手首から、 先が、 なかった」。 「生まれつき」。 「そう、 分かった」。 「政略結婚」。 「公武合体の、 道具」。 「江戸城を、 救った、 女」。 「京に、 帰りたかった、 人」。 「東京に、 残った」。