← 地図で見る
Person / 人

河井継之助

Kawai Tsugunosuke
AD1827年1月27日 – AD1868年10月1日(享年41)
日本重要度 3

概要

長岡藩の家老。藩政を改革して金を作り、ガトリング砲を買った。武装中立を求め、小千谷で岩村精一郎に拒まれ、戦った。膝を撃たれ、会津への峠で死んだ。「峠」の人。

所属

日本

関わったできごと(1)

北越戦争AD1868年(慶応4年)5月 · 家老

本文

長岡。 1827年。 120石。 「継之助」。 「蒼龍窟」。 「若い頃、 藩の、 学校で、 『私は、 朱子学は、 やらない。 陽明学だ』」。 「怒られた」。 1852年、 江戸。 斎藤拙堂。 古賀謹一郎。 佐久間象山。 「象山の、 塾に」。 「象山は、 傲慢。 私も」。 「合わなかった」。 1859年、 備中松山。 山田方谷。 「藩の、 借金を、 返した、 人」。 「藩政改革」。 「河井は、 方谷の、 家で、 1年」。 「本は、 読まない。 方谷の、 やり方を、 見る」。 「塵壺」。 日記。 「長崎」。 「外国の、 船」。 1865年、 長岡。 「郡奉行」。 「町奉行」。 「家老」。 「1867年」。 「藩政改革」。 「藩の、 借金」。 「10万両」。 「返した」。 「兵制」。 「洋式」。 「年貢を、 下げた」。 「賭博を、 禁じた」。 「遊郭を、 閉じた」。 「藩士に、 『武士は、 働け』」。 「金」。 「藩の、 米を、 売った」。 「ガトリング砲」。 「2門」。 「日本に、 3門」。 「一門、 6000両」。 「エドワード・スネル」。 「横浜」。 「ミニエー銃」。 「アームストロング砲」。 1868年。 「武装中立」。 「幕府を、 守るのでも、 新政府に、 つくのでも、 ない」。 「長岡は、 長岡」。 「スイスの、 ように」。 「河井は、 スイスを、 知っていた」。 「本で」。 閏4月。 小千谷。 「岩村精一郎」。 「土佐」。 「24歳」。 「河井は、 41歳」。 「30分」。 「岩村は、 『時間の、 無駄』」。 「河井は、 翌日、 また、 行った。 岩村は、 会わなかった」。 「河井は、 帰る道で、 『戦う』」。 「家老の、 中には、 『恭順を』」。 「河井は、 『この、 藩を、 薩長の、 草履取りには、 しない』」。 「戦った」。 5月19日、 長岡城。 「落ちた」。 「河井は、 ガトリング砲を、 自分で、 撃った」。 「城下に、 火」。 「河井が、 放った」。 「そう、 言われる」。 7月24日。 八丁沖。 「沼」。 「夜」。 「700人」。 「腰まで、 水に」。 「朝、 城の、 裏から」。 「取り返した」。 「25日、 河井は、 左脚に、 弾」。 「29日、 また、 落ちた」。 「会津へ」。 「八十里越」。 「担架」。 「八十里、 腰抜け武士の、 越す峠」。 「自嘲」。 8月16日。 塩沢。 只見。 矢沢宗益の、 家。 「破傷風」。 「河井は、 下僕の、 松蔵に、 『私の、 遺体を、 焼いて、 骨を、 長岡に』」。 「自分で、 火葬の、 薪を、 命じた」。 「『もう、 いい』」。 42歳。 「長岡藩は、 7万4000石から、 2万4000石」。 「藩士は、 飢えた」。 「河井の、 せいだ」。 「長岡の、 人は、 長く、 河井を、 恨んだ」。 「明治の、 間中」。 「河井の、 墓が、 蹴られた」。 「昭和になって、 『河井は、 正しかった』」。 「司馬遼太郎」。 『峠』。 1968年。 「長岡は、 河井を、 許した」。 「2022年、 映画」。 「役所広司」。 「小林虎三郎は、 河井の、 反対派だった」。 「戦争に、 反対した」。 「米百俵」。 「河井が、 負けて、 虎三郎が、 学校を」。 「両方が、 長岡」。