概要
クエーカーの家。父は顕微鏡のレンズの色収差を直した人。グラスゴー、エディンバラ、ロンドンで外科の教授。石炭酸。初めイギリスの外科医は嘲り、ドイツとアメリカが先に採り入れた。1877年、ロンドンで膝蓋骨の骨折を、開いて針金で留めた(消毒なしでは自殺行為だった手術)。男爵、王立協会会長。うがい薬リステリンと、リステリア菌に名が残っている。
関わったできごと(1)
リスターの消毒法AD1867年 · 消毒した本文
1827年4月5日、エセックスのアプトン。クエーカーの家。父ジョゼフ・ジャクソン・リスターは、ワインの商人で、独学の光学研究者。顕微鏡の対物レンズの色収差を消す組み合わせを見つけて(1830年)、王立協会の会員になった。息子は、子供の頃から顕微鏡を覗いて、魚と骨と、自分の血を見ていた。
クエーカーはオックスフォードとケンブリッジに入れなかった(国教会の宣誓が要る)。ロンドン大学(宗派を問わない)。1852年、医師。エディンバラのジェイムズ・サイム(当時の英国で最高の外科医)の助手になり、その娘アグネスと結婚した(結婚のため、クエーカーを離れて国教会へ)。アグネスは彼の実験を手伝い、記録を取った。子はなかった。
1860年、グラスゴー大学の外科教授。王立診療所の新しい外科病棟。そこの死亡率は、切断で45〜50%。「病院病」。当時の説明は、「傷が空気に触れて腐る」。だから、傷を空気から遮断しようとする試み(膏薬、乾かす)はあった。
1864年、化学のトマス・アンダーソン教授が、パスツールの論文(1857〜64年。発酵と腐敗は、空気そのものでなく、空気中の微生物が起こす。加熱すれば起きない)を見せた。リスターは自分で実験を繰り返した(煮沸した尿を、口を細く曲げた瓶に入れて放置すると腐らない)。「傷を空気から遮断できないなら、空気の中の生き物を殺せばよい」。
石炭酸(クレオソート、フェノール)。カーライルの町の下水処理に使われて、悪臭と、下水を撒いた牧草地の牛の寄生虫が減った、という報告を読んだ。
1865年8月12日、11歳のジェイムズ・グリーンリーズ、脛骨の複雑骨折。石炭酸の油溶液に浸した麻布。膿まなかった。6週間で歩いた。11例中9例が成功。
1867年3月から、『ランセット』に連載。9月、ダブリンの英国医学会で講演。
抵抗。「見えない生き物」を信じない。手間がかかる。石炭酸は手を荒らし、噴霧は息を苦しくする。そして、認めることは「これまで自分が患者を殺してきた」と認めること。ロンドンの大病院の外科医は嘲った。エディンバラの『ランセット』の編集者は初め懐疑的だった。ドイツ(1870年の普仏戦争で、軍医が使って成果を出した)、デンマーク、アメリカが先に採用した。
1877年、ロンドンのキングズ・カレッジ病院へ移った。ロンドンの外科医を説得するために。10月26日、膝蓋骨の単純骨折(普通は添え木で治す。開ければ死ぬ)を、切開して銀線で縫った。膿まなかった。ロンドンが変わった。
1871年、ヴィクトリア女王の脇の膿瘍を切開した(石炭酸の噴霧の下で。噴霧が女王の顔にかかって、女王が不快そうにした、と伝える)。「私は、女王にナイフを入れた唯一の男だ」。
1883年、准男爵。1897年、男爵(医師で初めて貴族に)。1895〜1900年、王立協会会長。1902年、エドワード7世の戴冠式の直前の虫垂炎の手術に、助言した(王は「あなたがいなければ、私はここにいなかった」と言った)。
1893年、アグネスがイタリア旅行中に肺炎で死んだ。リスターは研究をやめた。1912年2月10日、ウォルマーで死んだ。84歳。ウェストミンスター寺院での葬儀のあと、遺言でハムステッドの墓地の妻の隣へ。
1879年、アメリカの医師ジョーゼフ・ローレンスが、彼の名を借りた消毒液「リステリン」を作った(初め、手術用。売れず、床の洗浄、水虫、そして1920年代に「口臭(ハリトーシス)」の薬として大当たりした。病気の名前を宣伝で広めた最初の例と言われる)。