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Person / 人

定朝

Jōchō
? – AD1057年
平安時代重要度 4

概要

康尚の子。法成寺の仏像で道長に用いられ、仏師で初めて法橋、法眼。寄木造。分業。「定朝様」。柔らかい顔、浅い衣の襞、丸い肩。平等院の阿弥陀如来が、唯一確かな作。それから300年、日本の仏像はみなこの顔。

関わったできごと(1)

平等院鳳凰堂AD1053年(天喜元年) · 阿弥陀を彫った

本文

仏師康尚の子。康尚は道長の法成寺の仏像を作った。定朝は父の下で1020年、法成寺の阿弥陀堂の9体の阿弥陀如来を作った。1022年、法成寺の金堂の供養で、道長が定朝に法橋の位を求めて、与えられた。仏師で初めて。僧の位。1048年、興福寺の仏像で法眼。

寄木造。頭と胴を別々の材で作り、内側を刳って、組み合わせる。大きな像を一木で作ると、木が割れ、重く、時間がかかる。寄木は軽く、割れず、分業できる。定朝の工房は多くの仏師を分業させ、短い期間に大量の仏像を作った。貴族が阿弥陀堂を競って建てた時代に、それが要った。

定朝様。顔は丸く、目は細く伏せ、眉は弧、口元は微笑み、肩は丸く、衣の襞は浅く平行に流れる。「尊容満月の如し」。優しく、穏やかで、この世の人のようで。それから300年、日本の仏像はこの顔で作られた。運慶が変えるまで。

平等院鳳凰堂の阿弥陀如来(1053年)が、定朝の作と確かに言える唯一の像。ほかは全部失われた。1057年に死んだ。息子の覚助、弟子の長勢。奈良仏師と京仏師に分かれ、奈良の側から康慶と運慶が出た。