概要
洛陽の人。18歳で文名、20歳で博士。改暦、服色、諸侯の削減を説いて老臣に憎まれ、長沙王の太傅に。屈原を弔う賦を書き、フクロウが部屋に入ったのを死の兆しと詠んだ。梁王の太傅として王が落馬で死ぬと、自分を責めて泣いて死んだ。33歳。
所属
前漢関わったできごと(1)
賈誼「過秦論」BC175年頃 · 著者本文
洛陽。 BC200年。 「漢の、 高祖7年」。 「18歳で、 郡中に、 名」。 呉公。 「河南の、 太守」。 「賈誼を、 門下に」。 「李斯の、 弟子」。 呉公。 「李斯と、 同じ、 郷里で、 李斯に、 学んだ」。 李斯は、 荀子の、 弟子。 「賈誼は、 荀子から、 三代」。 「儒と、 法」。 文帝。 「呉公は、 治績、 天下一。 廷尉に」。 「呉公は、 賈誼を、 推薦した」。 「博士」。 「最年少」。 「諸生の、 問いに、 賈誼が、 答えて、 みな、 自分が、 言いたいことを、 言われた」。 「超遷」。 「一年で、 太中大夫」。 「正朔を、 改め、 服色を、 易え、 法制を、 定め、 官名を、 定め、 礼楽を、 興す」。 「漢は、 秦の、 制度を、 そのまま」。 「20年、 経った」。 「変えるべき」。 「土徳」。 「黄」。 「五」。 文帝は、 「謙譲」。 「まだ、 その時では」。 「列侯は、 封国へ」。 「長安に、 いる、 必要は、 ない」。 周勃。 「絳侯」。 「長安を、 出たくない」。 「洛陽の、 若造」。 「専権」。 「文帝は、 賈誼を、 公卿に、 しようとした」。 周勃、 灌嬰、 東陽侯、 馮敬。 「疎んじた」。 「長沙王太傅」。 「長沙は、 卑湿」。 「屈原」。 「弔屈原賦」。 「共に、 恭承して、 嘉恵を、 俟ち、 罪に、 逢いて、 長沙に、 遷る」。 「彼は、 なぜ、 去らなかったか。 鳳凰は、 千仞に、 飛んで、 徳を、 見て、 下る。 細徳の、 険徴を、 見て、 遙かに、 去る」。 「屈原は、 楚を、 去るべきだった」。 「私は、 去った」。 「去らされた」。 「鵩鳥」。 「フクロウ」。 「4月、 庚子の日、 日が、 傾いた頃、 鵩が、 私の、 家に、 来て、 隅に、 止まった」。 「主人は、 去る」。 「私は、 問うた」。 「鵩は、 答えなかった」。 「私が、 代わりに、 答えた」。 「万物は、 変化し、 止まらない」。 「禍は、 福の、 拠るところ。 福は、 禍の、 伏すところ」。 「老子」。 「生きるは、 浮かぶが、 如く、 死ぬは、 休むが、 如し」。 「大人は、 物に、 拘らず」。 「荘子」。 「私は、 長く、 生きない」。 「私は、 それでも、 いい」。 3年。 BC173年。 「宣室」。 「文帝は、 祭りの、 肉を、 受けて、 宣室に、 座った」。 「鬼神の、 本」。 「夜半」。 「席を、 前に」。 「私は、 久しく、 賈生を、 見なかった。 自分が、 彼に、 及ぶと、 思っていた。 及ばない」。 「梁の、 太傅」。 「梁の、 懐王」。 「揖」。 「文帝の、 末子」。 「読書を、 好んだ」。 「治安策」。 「痛哭」。 「諸侯王が、 強すぎる」。 「流涕」。 「匈奴」。 「長太息」。 「礼」。 「太子の、 教育」。 「匈奴」。 「五餌」。 「服、 食、 音楽、 女、 恩」。 「三表」。 「信、 愛、 好」。 「匈奴を、 中国に、 引き込む」。 「効かなかった」。 「50年後、 武帝が、 戦った」。 BC169年。 「懐王が、 落馬」。 「賈誼は、 『私が、 太傅で、 守れなかった』」。 「哭泣」。 「一年余」。 BC168年。 「33」。 「賈誼の、 孫二人が、 郡守に」。 「賈嘉」。 「司馬遷が、 会った」。 「賈嘉は、 最も、 学問を、 好んだ。 私と、 手紙を、 やりとりした」。 『史記』。 「賈生の、 本を、 読んで、 屈原を、 弔う、 賦を、 読んで、 私は、 泣いた」。 「太史公は、 言う。 私は、 『離騒』『天問』『招魂』『哀郢』を、 読んで、 その、 志を、 悲しんだ。 長沙に、 行って、 屈原が、 沈んだ、 淵を、 見て、 涙を、 流した。 賈生が、 屈原を、 弔ったのを、 読んで、 また、 屈原が、 どうして、 去らなかったかと、 怪しんだ。 『鵩鳥賦』を、 読んで、 生死を、 同じくし、 去就を、 軽んずるのを、 見て、 私は、 また、 茫然とした」。 「二人を、 一つの、 伝に」。 「屈原賈生列伝」。 「屈原は、 去らず、 賈誼は、 去らされた。 どちらも、 死んだ」。 「司馬遷も、 死ななかった。 去らなかった。 書いた」。 「三人」。