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Person / 人

賈誼

Jia Yi
BC200年 – BC168年(享年32・推定)
前漢重要度 3

概要

洛陽の人。18歳で文名、20歳で博士。改暦、服色、諸侯の削減を説いて老臣に憎まれ、長沙王の太傅に。屈原を弔う賦を書き、フクロウが部屋に入ったのを死の兆しと詠んだ。梁王の太傅として王が落馬で死ぬと、自分を責めて泣いて死んだ。33歳。

所属

前漢

関わったできごと(1)

賈誼「過秦論」BC175年頃 · 著者

本文

洛陽。 BC200年。 「漢の、 高祖7年」。 「18歳で、 郡中に、 名」。 呉公。 「河南の、 太守」。 「賈誼を、 門下に」。 「李斯の、 弟子」。 呉公。 「李斯と、 同じ、 郷里で、 李斯に、 学んだ」。 李斯は、 荀子の、 弟子。 「賈誼は、 荀子から、 三代」。 「儒と、 法」。 文帝。 「呉公は、 治績、 天下一。 廷尉に」。 「呉公は、 賈誼を、 推薦した」。 「博士」。 「最年少」。 「諸生の、 問いに、 賈誼が、 答えて、 みな、 自分が、 言いたいことを、 言われた」。 「超遷」。 「一年で、 太中大夫」。 「正朔を、 改め、 服色を、 易え、 法制を、 定め、 官名を、 定め、 礼楽を、 興す」。 「漢は、 秦の、 制度を、 そのまま」。 「20年、 経った」。 「変えるべき」。 「土徳」。 「黄」。 「五」。 文帝は、 「謙譲」。 「まだ、 その時では」。 「列侯は、 封国へ」。 「長安に、 いる、 必要は、 ない」。 周勃。 「絳侯」。 「長安を、 出たくない」。 「洛陽の、 若造」。 「専権」。 「文帝は、 賈誼を、 公卿に、 しようとした」。 周勃、 灌嬰、 東陽侯、 馮敬。 「疎んじた」。 「長沙王太傅」。 「長沙は、 卑湿」。 「屈原」。 「弔屈原賦」。 「共に、 恭承して、 嘉恵を、 俟ち、 罪に、 逢いて、 長沙に、 遷る」。 「彼は、 なぜ、 去らなかったか。 鳳凰は、 千仞に、 飛んで、 徳を、 見て、 下る。 細徳の、 険徴を、 見て、 遙かに、 去る」。 「屈原は、 楚を、 去るべきだった」。 「私は、 去った」。 「去らされた」。 「鵩鳥」。 「フクロウ」。 「4月、 庚子の日、 日が、 傾いた頃、 鵩が、 私の、 家に、 来て、 隅に、 止まった」。 「主人は、 去る」。 「私は、 問うた」。 「鵩は、 答えなかった」。 「私が、 代わりに、 答えた」。 「万物は、 変化し、 止まらない」。 「禍は、 福の、 拠るところ。 福は、 禍の、 伏すところ」。 「老子」。 「生きるは、 浮かぶが、 如く、 死ぬは、 休むが、 如し」。 「大人は、 物に、 拘らず」。 「荘子」。 「私は、 長く、 生きない」。 「私は、 それでも、 いい」。 3年。 BC173年。 「宣室」。 「文帝は、 祭りの、 肉を、 受けて、 宣室に、 座った」。 「鬼神の、 本」。 「夜半」。 「席を、 前に」。 「私は、 久しく、 賈生を、 見なかった。 自分が、 彼に、 及ぶと、 思っていた。 及ばない」。 「梁の、 太傅」。 「梁の、 懐王」。 「揖」。 「文帝の、 末子」。 「読書を、 好んだ」。 「治安策」。 「痛哭」。 「諸侯王が、 強すぎる」。 「流涕」。 「匈奴」。 「長太息」。 「礼」。 「太子の、 教育」。 「匈奴」。 「五餌」。 「服、 食、 音楽、 女、 恩」。 「三表」。 「信、 愛、 好」。 「匈奴を、 中国に、 引き込む」。 「効かなかった」。 「50年後、 武帝が、 戦った」。 BC169年。 「懐王が、 落馬」。 「賈誼は、 『私が、 太傅で、 守れなかった』」。 「哭泣」。 「一年余」。 BC168年。 「33」。 「賈誼の、 孫二人が、 郡守に」。 「賈嘉」。 「司馬遷が、 会った」。 「賈嘉は、 最も、 学問を、 好んだ。 私と、 手紙を、 やりとりした」。 『史記』。 「賈生の、 本を、 読んで、 屈原を、 弔う、 賦を、 読んで、 私は、 泣いた」。 「太史公は、 言う。 私は、 『離騒』『天問』『招魂』『哀郢』を、 読んで、 その、 志を、 悲しんだ。 長沙に、 行って、 屈原が、 沈んだ、 淵を、 見て、 涙を、 流した。 賈生が、 屈原を、 弔ったのを、 読んで、 また、 屈原が、 どうして、 去らなかったかと、 怪しんだ。 『鵩鳥賦』を、 読んで、 生死を、 同じくし、 去就を、 軽んずるのを、 見て、 私は、 また、 茫然とした」。 「二人を、 一つの、 伝に」。 「屈原賈生列伝」。 「屈原は、 去らず、 賈誼は、 去らされた。 どちらも、 死んだ」。 「司馬遷も、 死ななかった。 去らなかった。 書いた」。 「三人」。