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Person / 人

出雲阿国

Izumo no Okuni
AD1572年頃 – ?
歌舞伎重要度 4

概要

出雲大社の鍛冶の娘で、社殿の修理の勧進で踊りに出た、と伝える。確かなことは、1603年に京で「かぶき踊り」をしたと日記にあること。男装。茶屋遊びの寸劇。名古屋山三郎の亡霊が出る演目。江戸城でも踊った。いつ死んだか分からない。出雲に帰って尼になった、とも。歌舞伎の始めの人は、女だった。

関わったできごと(1)

出雲阿国のかぶき踊りAD1603年(慶長8年) · 踊った

本文

確かなこと。1600年、京の女官の日記(『時慶卿記』)に「雲州のややこ踊り」。1603年、『当代記』に「かぶき踊り」を出雲の神子の国が北野で。1603年、女院御所で踊った。1607年、江戸城で踊った。それきり。

伝えること。出雲大社の鍛冶中村三右衛門の娘。出雲大社の巫女。社殿の修理の勧進のために踊りに出た。名古屋山三郎(信長の家臣の子、美男の傾奇者、1603年、森忠政の家臣に斬られて死んだ)が夫か恋人で、山三郎の死後、その亡霊を舞台に出した。晩年、出雲に帰って尼になり、87歳で死んだ。出雲大社の近くに墓。京の大徳寺の高桐院にも墓と伝える。どれも確かでない。

「阿国歌舞伎図屏風」(京都国立博物館)。舞台に、男装の阿国。刀、脇差、首にロザリオのような飾り(キリシタンの影響か、単なる南蛮風か)。横に「猿若」という道化。周りに客。「かぶき草子」(大和文華館)に絵と詞。

1603年は、家康が将軍になった年。関ヶ原から3年、大坂の陣まで12年。京は、戦国の終わりの、まだ落ち着かない街で、傾奇者が刀を差して歩いていた。阿国はその傾奇者を演じた。男が。女が男を演じ、その男が茶屋の女(男が演じた)と戯れる。

女歌舞伎は禁じられ、若衆歌舞伎は禁じられ、野郎歌舞伎が残って、女形が生まれた。歌舞伎の女は、それから400年、男が演じている。始めた人が女だったのに。

京都の四条大橋の東詰に、阿国の像がある(2003年、歌舞伎400年)。