概要
生まれも育ちも分からない。4回の航海で、北極、ハドソン川、ハドソン湾。マンハッタンを見た最初のヨーロッパ人の一人。最後の航海で船員に小舟に乗せられ、氷の海に消えた。反乱者は帰って、裁かれなかった。
関わったできごと(1)
ハドソン湾の発見と遭難AD1611年6月 · 船長本文
生まれた年も、 場所も、 分からない。 1565年頃、 と推定される。 ロンドンの、 商人の家、 と言われる。 祖父が、 モスクワ会社の、 創立者の一人、 とも。 確かなことは、 1607年から、 1611年の、 4年間だけ。
1607年4月、 「ホープウェル」号。 モスクワ会社。 「北極を、 越えて、 中国へ」。 「極は、 夏、 暖かい」。 そう、 考えられていた。 グリーンランドの東岸。 スピッツベルゲン。 北緯80度23分。 氷。 記録。 「鯨が、 たくさん」。 帰った。 イギリスの、 捕鯨が、 始まった。 1608年、 二度目。 ノヴァヤゼムリャ。 氷。 「人魚を見た」と、 航海日誌。 「女の、 胸と、 背中。 髪は、 黒く、 長い。 尾は、 鯖のよう」。 帰った。 モスクワ会社は、 やめた。 1609年、 オランダ東インド会社。 アムステルダム。 「ハーフ・ムーン」号。 「ノヴァヤゼムリャの、 北東へ」。 契約。 氷。 乗員が、 反乱寸前。 ハドソンは、 西へ。 契約違反。 ジョン・スミスの、 手紙を持っていた。 ヴァージニア。 「北緯40度に、 海への道が」。 ニューファンドランド、 メイン、 ケープコッド、 チェサピーク、 デラウェア。 9月、 「大きな川」。 「ハドソン川」。 マンハッタン。 レナペ。 「彼らは、 友好的だった」。 「彼らは、 敵だった」。 両方あった。 オルバニーまで。 「浅い」。 「中国では、 ない」。 11月、 ダートマス。 イングランド。 「イングランド人は、 他国のために、 働いてはならない」。 足止め。 船は、 オランダへ。 オランダは、 その川に、 1624年、 ニューアムステルダム。 1610年、 「ディスカヴァリー」号。 1611年6月。 小舟。
ハドソン川、 ハドソン海峡、 ハドソン湾。 1810年、 ハドソン川に、 蒸気船。 1900年代、 ハドソン川派。 絵画。 ハドソン湾会社。 1670年。 ハドソン湾ブランケット。 毛布。 「ヘンリー・ハドソンの肖像画」は、 すべて、 想像。 本人の顔は、 誰も、 知らない。 「ハドソンの、 最後の日誌」は、 反乱者が、 持ち帰らなかった。 プリケットの、 日誌だけ。 「私は、 反乱に、 加わらなかった」。 「彼らは、 私を、 殺そうとした」。 「ハドソンは、 食糧を、 隠していた」。 「私は、 見た」。 反乱者の、 証言。 それだけが、 残った。