← 地図で見る
Person / 人

ヘンリー・ハドソン

Henry Hudson
AD1565年頃 – AD1611年頃(享年46・推定)
イングランド王国重要度 3

概要

生まれも育ちも分からない。4回の航海で、北極、ハドソン川、ハドソン湾。マンハッタンを見た最初のヨーロッパ人の一人。最後の航海で船員に小舟に乗せられ、氷の海に消えた。反乱者は帰って、裁かれなかった。

関わったできごと(1)

ハドソン湾の発見と遭難AD1611年6月 · 船長

本文

生まれた年も、 場所も、 分からない。 1565年頃、 と推定される。 ロンドンの、 商人の家、 と言われる。 祖父が、 モスクワ会社の、 創立者の一人、 とも。 確かなことは、 1607年から、 1611年の、 4年間だけ。

1607年4月、 「ホープウェル」号。 モスクワ会社。 「北極を、 越えて、 中国へ」。 「極は、 夏、 暖かい」。 そう、 考えられていた。 グリーンランドの東岸。 スピッツベルゲン。 北緯80度23分。 氷。 記録。 「鯨が、 たくさん」。 帰った。 イギリスの、 捕鯨が、 始まった。 1608年、 二度目。 ノヴァヤゼムリャ。 氷。 「人魚を見た」と、 航海日誌。 「女の、 胸と、 背中。 髪は、 黒く、 長い。 尾は、 鯖のよう」。 帰った。 モスクワ会社は、 やめた。 1609年、 オランダ東インド会社。 アムステルダム。 「ハーフ・ムーン」号。 「ノヴァヤゼムリャの、 北東へ」。 契約。 氷。 乗員が、 反乱寸前。 ハドソンは、 西へ。 契約違反。 ジョン・スミスの、 手紙を持っていた。 ヴァージニア。 「北緯40度に、 海への道が」。 ニューファンドランド、 メイン、 ケープコッド、 チェサピーク、 デラウェア。 9月、 「大きな川」。 「ハドソン川」。 マンハッタン。 レナペ。 「彼らは、 友好的だった」。 「彼らは、 敵だった」。 両方あった。 オルバニーまで。 「浅い」。 「中国では、 ない」。 11月、 ダートマス。 イングランド。 「イングランド人は、 他国のために、 働いてはならない」。 足止め。 船は、 オランダへ。 オランダは、 その川に、 1624年、 ニューアムステルダム。 1610年、 「ディスカヴァリー」号。 1611年6月。 小舟。

ハドソン川、 ハドソン海峡、 ハドソン湾。 1810年、 ハドソン川に、 蒸気船。 1900年代、 ハドソン川派。 絵画。 ハドソン湾会社。 1670年。 ハドソン湾ブランケット。 毛布。 「ヘンリー・ハドソンの肖像画」は、 すべて、 想像。 本人の顔は、 誰も、 知らない。 「ハドソンの、 最後の日誌」は、 反乱者が、 持ち帰らなかった。 プリケットの、 日誌だけ。 「私は、 反乱に、 加わらなかった」。 「彼らは、 私を、 殺そうとした」。 「ハドソンは、 食糧を、 隠していた」。 「私は、 見た」。 反乱者の、 証言。 それだけが、 残った。