概要
早雲の孫、氏綱の子。河越夜戦で関東の上杉を壊した。武田・今川と三国同盟。謙信に小田原を囲まれて、耐えた。検地と税制で、「民に優しい北条」と後の世に言われた。顔に刀傷が2つ。「向こう傷」。息子氏政に、飯に汁を2度かけるのを見て「毎日のことを量れない者が国を量れるか」と言ったという話。
所属
後北条氏関わったできごと(1)
河越夜戦AD1546年(天文15年) · 夜襲した本文
北条氏綱の長男。1515年生まれ。早雲の孫。
16歳で初陣。父が死んで、1541年、26歳で家督。今川義元と武田信玄に駿河の東の河東を取られ、上杉と古河公方に囲まれ、1546年、河越夜戦。8000で夜襲。関東の勢力図が変わった。
1554年、今川、武田と三国同盟(善徳寺の会盟、と伝えるが、三者が会った証拠はない)。娘を今川氏真に、息子氏政に信玄の娘を。北から武田、西から今川の脅威が消えて、北条は関東に集中した。
1561年、上杉謙信が関東の大名10万を連れて小田原を囲んだ。氏康は籠城した。1か月で謙信は去った。小田原城は、それから秀吉まで、落ちなかった。
内政。1542年、「北条氏所領役帳」で家臣の知行を調べ、税を整理した(1550年代の改革で、それまでの雑多な税を廃止して「懸銭」に統一し、農民の負担を減らした)。目安箱(訴えの箱)。虎の印判。「民を憐れむ」と後の世に言われ、江戸時代に「早雲、氏綱、氏康の三代は善政」と書かれた。
顔に向こう傷が2つあった。逃げなかった証拠、と言われた。氏政が飯に汁を2度かけるのを見て「毎日食べている飯の汁の量が量れない者に国が量れるか」と嘆いた話は、江戸時代の作。
1571年、57歳で死んだ。遺言で武田との同盟を戻せと言った。氏政が戻した。北条は氏政と氏直の代、1590年、秀吉に囲まれて終わった。