人物

甄萱

Gyeon Hwon
AD867年 – AD936年(享年69・推定)
後百済重要度 3

概要

尚州の農民の子。赤子のとき虎が乳を飲ませたと伝える。新羅の西南の海の守備兵から後百済の王に。927年に慶州に入って景哀王を自殺させた。四男を継がせようとして長男に金山寺に幽閉され、逃げて王建に降った。自分の国を滅ぼす軍にいた。

関わったできごと(1)

後三国の分立AD892年 · 後百済

本文

甄萱は867年、新羅の尚州の加恩県(いまの慶尚北道聞慶)で、農民の阿慈介の子として生まれた。『三国史記』によれば、赤ん坊の頃、母が畑仕事の合間に彼を林の下に寝かせておくと、虎がやって来て乳を飲ませたという。村の人びとはそれを不思議がった。成長すると体格はたくましく、志が大きく並外れていたと書かれている。父の阿慈介はのちに自分も兵を挙げて将軍を名乗った。

9世紀の終わり、新羅は崩れかけていた。王位をめぐる争いが続いて王権が弱まり、地方では豪族が城を構えて自立し、重い税に苦しむ農民は各地で反乱を起こした。889年には、税を取り立てられない地方で一斉に反乱が起こっている。甄萱は新羅の軍に入り、首都の慶州を経て、半島の西南の海辺の守りに送られた。海賊や反乱に備える最前線で、彼は寝るときも戈を枕にして敵に備え、勇ましさは兵の中で抜きん出ていたので、副将に取り立てられた。

892年、甄萱は西南の兵を率いて自立した。従う者はひと月で5000人に達したという。武珍州(いまの光州)を拠点に、周りの州や県を次々と従えた。900年、完山州(いまの全州)に入ると、こう宣言した。かつて百済は唐と新羅に滅ぼされた。私はいま都をここに定め、義慈王の長年の恨みを晴らそう、と。国の名を百済とし、後世これを後百済と呼ぶ。北では弓裔が901年に後高句麗を建て(弓裔)、半島は新羅とあわせて三つに割れた(後三国の分立)。

甄萱は外交にも力を入れ、中国の呉越や後唐、北方の契丹に使いを送り、日本にも使者を出している。呉越からは官職を授けられ、新羅に代わる国としての体裁を整えようとした。918年に弓裔が倒され、部将の王建が高麗を建てると(高麗の建国)、甄萱は王建と、新羅をどちらが手に入れるかを争うことになる。

927年、甄萱は新羅の都・慶州を急襲した。景哀王は都の南の離宮・鮑石亭で宴を開いていたと『三国史記』は書く。甄萱の兵が押し入ると、王は妃とともに逃げ隠れたが捕らえられ、甄萱は王に自害を強いた。そして王妃を辱め、王族の金傅を新しい王に立てて、宝物と人を連れ去った。新羅を救うため駆けつけた王建の軍を、甄萱は帰途の公山(いまの大邱の近く)で迎え撃ち、大勝した。王建は将の申崇謙らを失い、かろうじて単身で逃れた。

だがこの慶州襲撃は、新羅の人びとの心を甄萱から遠ざけた。王建が新羅を手厚く扱ったのとは対照的だった。930年、安東の近くの古昌の戦いで、甄萱は王建に大敗し、慶尚道の豪族たちは雪崩を打って高麗についた。934年には運州(いまの洪城)でも敗れ、形勢は逆転した。

最後の打撃は、家の中から来た。甄萱には10人を超える息子がいたが、晩年、体格が大きく知恵もある四男の金剛をかわいがり、後を継がせようとした。935年3月、長男の神剣は弟たちと組んで父を金山寺に閉じ込め、金剛を殺して自ら王になった。甄萱は3か月後に見張りを酒で酔わせて寺を抜け出し、羅州へ逃れて、海から高麗に身を寄せた。王建は自分より10歳年上の宿敵を「尚父」と呼んで敬い、宮殿を与えて厚く迎えた。同じ年の暮れ、新羅の最後の王・敬順王(金傅)も高麗に国を譲った。

936年、甄萱は王建に、自分の息子を討ってほしいと願い出た。王建は大軍を発し、甄萱もその軍に加わった。一利川(いまの慶尚北道亀尾の近く)で両軍が向かい合うと、後百済の将たちは甄萱の姿を見て次々と降り、神剣も降伏した。王建は神剣を許し、後百済は滅んだ。

甄萱は、息子が罰せられなかったことに憤り悲しみ、背中に腫れ物ができて、数日後に黄山(いまの忠清南道論山)の寺で死んだ。70歳だった。自分の建てた国を、自分の敵の軍の中にいて、自分の手で終わらせた建国者だった。

『三国史記』は、甄萱を弓裔とともに列伝の最後の巻、反逆者の巻に置き、新羅の臣でありながら国を奪おうとし、都を襲って王を殺した者として厳しく書いた。高麗の側から書かれた歴史だから、ということもある。その一方、彼の後百済が旧百済の地の人びとの支持を得て40年あまり続いたこと、外交に長けていたことを評価する見方もある。論山には甄萱王陵と伝えられる墓があり、全州では後百済の王宮の跡を探す調査が続いている。2000年から放送された韓国のテレビドラマ『太祖王建』では、王建の好敵手として描かれ、広く知られるようになった。

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