概要
建築技師の子。体が弱く、八歳まで読めなかったと伝えられる。エコール・ポリテクニークを経て土木技師になり、道路と橋を作りながら、独学で光を研究した。ナポレオンの百日天下に反対して職を解かれた期間に、回折の実験を行っている。光は粒子ではなく波であり、しかも進行方向に垂直に振動する横波である、と数学で示した。当時の主流であったニュートン以来の粒子説を、覆した。灯台のレンズは、その理論の応用である。三十九歳で結核により死んだ。
関わったできごと(1)
フレネル・レンズAD1823年 · 設計本文
**オーギュスタン・ジャン・フレネル**(1788〜1827年)。
**ノルマンディー、ブログリー**。
(**父——**建築技師**。
〈**——**シェルブールの軍港の工事**に、関わっていた**。〉
**そして、**革命が始まって、**一家は、**田舎に、引っ込んだ**。
**——**厳格なジャンセニスムの家庭**である、と伝えられる**。〉)
**少年時代**。
(——**体が、**極めて、弱かった**。
〈**——**そして、**八歳になっても、**ろくに、読めなかった**、と伝えられる**。
**——**教育は、**母が、家で、施した**。〉
**——**しかし、**手先が、器用だった**。
〈**——**十代の初め、**弓と、玩具の砲**を、作った**。
**そして、**その威力が、危険なほどだった**ので、**近所の子どもたちが、**「天才」**と、呼んだ、という話がある**。
**〈——そして、大人たちが、それを、禁じた。〉**〉
**十三歳、**カーンの中央学校**。
**十六歳、**エコール・ポリテクニーク**。
〈**——**そこで、**ルジャンドル**が、**彼の答案の、独創的な解き方に、目を留めた**、と伝えられる**。〉
**そして、**土木学校**(École des Ponts et Chaussées)。〉)
**技師**。
(——**卒業後、**各地で、**道路と、橋を、作った**。
〈**ヴァンデ、ドローム、そしてイル=エ=ヴィレーヌ**。
**——**そして、**その傍らで、**光を、研究した**。
**〈——設備が、無い。**
**——器具を、**自分で、作った**。**
**——そして、**地元の鍛冶屋に、頼んだ**。〉**〉
**1815年**。
〈**——**ナポレオンの、**エルバ島からの帰還**(百日天下)。
**——**フレネルは、**王党派である**。
**——**そして、**公然と、反対した**。
**〈——王の軍に、加わろうとした、とされる。〉**
**——**職を、解かれた**。
**そして、**母の家に、**軟禁に近い形で、置かれた**。
**——**その数か月**。
**——**彼は、**光の研究に、没頭した**。
**〈——「わたしには、いま、時間がある」。〉**
**——**そして、**回折の実験**を、行った**。〉)
**波**。
(——**当時の主流**。
〈**——**ニュートン以来の、**粒子説**(emission theory)。
**——**光は、**微小な粒子の流れ**である**。
**——**そして、**ラプラスとビオ**が、**それを、擁護していた**。
**〈——フランス学士院の、**権威である**。〉**〉
**——**そして、**ヤング**(イギリス、1801年から)が、**波動説**を、再提出していた**。
〈**——**干渉の実験**。
**——**そして、**フランスでは、無視されていた**。〉
**フレネルの仕事**。
〈**(1)**回折を、**波の重ね合わせとして、**定量的に、計算した**。
**〈——「フレネル積分」。**
**——そして、**ホイヘンスの原理**に、**干渉を、組み込んだ**。**
**——「ホイヘンス=フレネルの原理」。〉**
**(2)そして、**偏光**。
**——**アラゴとともに、実験した**。
**——**そして、**極めて、奇妙な結果を、得た**。
**〈——垂直に偏光した二つの光線は、**干渉しない**。〉**
**——**その説明**。
**「光は、**横波**である」**。
**〈——進行方向に、**垂直に**、振動する。**
**——それまで、**音のような縦波**だと、考えられていた。**
**——そして、横波なら、**媒質は、固体でなければならない**。**
**〈——「エーテルは、鋼より硬い固体でなければならない」。**
**——それが、**当時の、最大の難点だった**。**
**——そして、その難点は、**マクスウェルと、相対論**が、解決した。〉〉**〉)
**懸賞論文**。
**1819年**。
(——**フランス学士院が、**回折についての懸賞論文**を、出した**。
〈**——**審査員——**ラプラス、ビオ、ポアソン**(いずれも、粒子説)、そして**アラゴとゲイ=リュサック**。
**——**つまり、**粒子説を、証明させるための、懸賞**である、と見られていた**。〉
**——**フレネルが、**波動説で、応募した**。
**そして、**ポアソン**が、**反例を、示した**。
〈**——**「この理論によれば、**円形の障害物の、影の中心に、**明るい点が、できる**はずである**。
**——**それは、**明らかに、不合理である」**。〉
**——**アラゴが、**実験した**。
〈**——**点が、あった**。
**〈「ポアソンの明点」、あるいは「アラゴの明点」。**
**——反証しようとした人の名で、呼ばれている。**
**——そして、実は、**1723年に、ドラルが、既に観察していた**。**
**——そして、忘れられていた。〉**〉
**——**フレネルが、**賞を、得た**。
**そして、**波動説が、**受け入れられた**。〉)
**灯台**。
(**1819年、**灯台委員会**の委員**。
**——**そして、**レンズを、設計した**。
〈**——**これは、**彼にとって、公務である**。
**——**そして、**極めて、実際的な仕事だった**。
**〈——ガラス職人と、金具の職人を、指導し、**
**——試作を、繰り返した。**
**そして、**一枚のレンズを削り出すのではなく、**輪を別々に作って、組む**という方法に、行き着いた。〉**〉
**1822年、**パリで、実演**。
**1823年、**コルドゥアン灯台**。〉)
**死**。
(——**結核**。
〈**——**もともと、**体が弱い**。
**そして、**研究と、公務を、同時にやった**。
**——**1824年頃から、**急速に、悪くなった**。〉
**1827年7月14日、**ヴィル=ダヴレー**で、死去**。**三十九歳**。
〈**——**死の八日前**、**ロンドン王立協会が、**ラムフォード・メダル**を、贈った**。
**——**アラゴが、それを、届けた**。
**そして、彼は、こう言ったと伝えられる**。
**「わたしが、これまで、最も高く評価してきた賞賛は、**
**……**もはや、わたしには、あまり意味がない」**(要旨)。〉
**——**そして、**彼の業績の、多くが、**死後に、認められた**。
〈**——**生前に発表されなかった論文が、**アラゴらによって、刊行された**。〉)
**残ったもの**。
(**(1)**光の波動説**。
〈**——**そして、**「横波である」**という点**。
**——**これが、**後の電磁波の理論の、前提になった**。〉
**(2)**フレネル・レンズ**。
**(3)**フレネル反射、フレネルの式、フレネル・ゾーン**。
〈**——**光学と、電波工学と、そして音響で、**彼の名が、いまも、使われている**。〉
**(4)そして、**エッフェル塔**。
〈**——**七十二人の科学者と技師の名**の、一つである**。
**「FRESNEL」**。〉)