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Person / 人

フレデリック・チューダー

Frederic Tudor
AD1783年9月4日 – AD1864年2月6日(享年80)
アメリカ合衆国重要度 3

概要

ボストンの法律家の子。ハーヴァードへ進まず商売に入った。1805年、兄との雑談から、冬の氷を熱帯へ運ぶ事業を思いつく。最初の航海で大損し、以後も失敗を重ね、二度、債務者監獄に入った。断熱に鋸屑を使うこと、現地に氷倉を建てること、そして冷たい飲み物の習慣そのものを作ることを、順に解いていった。1833年のカルカッタ航海で軌道に乗り、氷王と呼ばれた。晩年は資産家として死んだ。

所属

アメリカ合衆国

関わったできごと(1)

天然氷の交易AD1806年2月13日 · 始めた

本文

**フレデリック・チューダー**(1783〜1864年)。

**ボストン**。

(**父**ウィリアム・チューダー**——**法律家**。

〈**——**独立戦争で、**大陸軍の法務総監**を務めた**。

**そして、**ジョン・アダムズの下で学んだ**。〉

**兄弟が、**ハーヴァードへ行った**。

**——**フレデリックは、**十三歳で、学校をやめた**。

〈**——**商店の徒弟になった**。

**「わたしは、学校に向かない」**。〉)

**着想**。

**1805年**。

(——**兄**ウィリアム**と、**冗談を言い合っていた**、と伝えられる**。

**「西インド諸島の連中は、暑さで参っている」**。

**「氷を、持って行ってやったら、どうか」**。

**——**フレデリックが、**本気にした**。

〈**——**彼の日記の、最初のページ**。

**「他人が捨て、軽んじるところに、**運と、財産と、名誉がある**」**という趣旨。

**そして——**「この本を開く者は、**次のことを知れ**。

**……**わたしは、**恐れず、たじろがず、**このことを、**失敗して死ぬまで、続ける**」**。〉)

**失敗**。

(**1806年、**マルティニーク**。

**——**大損**。

**1809年、**キューバ**。**——**損**。

**1810年、**ジャマイカ**。**——**損**。

**そして、**1812年の戦争**で、**貿易そのものが、止まった**。

〈**——**1812年から1815年、**債務者監獄に、入っている**(複数回)。

**そして、**保安官から逃げ隠れた**時期がある**。〉

**——**1815年までの、累積の損失は、**数万ドル**とされる**。〉)

**解いた**。

(**(1)**断熱に、**おがくず**を使う**(1820年代)。

**(2)**現地に、**氷倉を建てる**。

**(3)**需要そのものを、作る**。

〈**——**最初、無料で配る**。

**——**そして、**習慣にする**。

**「一度、氷で冷やした飲み物に慣れた者は、**もう、それ無しでは、済まされない**」**(要旨)。〉

**(4)**氷を切る道具**(ナサニエル・ワイエスの、馬引きの氷鋤)。

**(5)そして、**帰りの荷**。

〈**——**氷を降ろした船が、**空で帰るのは、無駄である**。

**——**熱帯の産品を、積んで帰った**。

**〈果物、砂糖、そしてコーヒー。〉**

**——**そして、**冷やして運ぶこと**も、試みた**。〉)

**1833年**。

(——**カルカッタ**。

**「タスカニー号」**。

**——**四か月の航海**。

**180トンのうち、**約100トンが、残った**。

〈**——**成功**である**。

**そして、**インドのイギリス人社会が、熱狂した**。

**募金で、**氷倉が建てられた**。

**〈——カルカッタの氷倉の建物は、後まで残った。〉**

**そして、**関税が、免除された**。〉

**——**以後、**インドが、最大の市場になった**。〉)

**「氷王」**。

(**——**1850年代、**彼の事業と、それに続いた業者によって、**年間15万トン以上の氷**が、ボストンから出た**。

**行き先——**インド、キューバ、西インド、南米、中国、フィリピン、オーストラリア、そしてイギリス**。

〈**——**そして、**マサチューセッツの池の名**が、**世界中で、氷の代名詞になった**。

**「ウェナム湖の氷」**。〉)

**そして、ソロー**。

(——**ヘンリー・デイヴィッド・ソロー**。

**『ウォールデン』**(1854年)。

**——**彼が住んでいた、**ウォールデン池**から、**チューダーの業者が、氷を切り出した**。

**1846年から47年の冬**。

**ソローは、それを、**書いている**(要旨)。

〈**——**「百人のアイルランド人が、ヤンキーの監督とともに、毎日やって来た**。

**……**彼らは、わたしの池を、切り取っていった」**。

**そして、**こう続ける**。

**「こうして、**チャールストンとニューオーリンズの、マドラスとボンベイとカルカッタの、汗をかいた住民が、**

**……**わたしの井戸の水を、飲むのである**。

**……**ウォールデンの、純粋な水が、ガンジスの聖なる水と、混ざり合う」**。

——**そして、彼は、**同じ本で、**インドの哲学書を、朝、池のほとりで読む**、と書いている**。

**「バガヴァッド・ギーターの、壮大で、宇宙的な哲学」**。

〈**——**東から、思想が来る**。

**そして、**西から、氷が行く**。〉〉)

**その他**。

(——**彼は、**氷以外にも、手を出した**。

**コーヒーの投機**——**大損した**。

**グラファイト**——**駄目だった**。

**〈そして、**その損を、氷で埋めた**。〉**

**——**1864年、**死去**。**八十歳**。

**遺産——**数百万ドル**とされる**。

〈**——**そして、**ボストン郊外に、**「チューダー」の名の付いた場所が、いくつも残っている**。〉)

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