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Person / 人

フランシスコ・ザビエル

Francis Xavier
AD1506年4月7日 – AD1552年12月3日(享年46)
イエズス会重要度 5

概要

ナバラのバスク貴族。パリ大学でイグナティウス・デ・ロヨラと同室になり、1534年、モンマルトルで7人が誓った。イエズス会。ゴア、マラッカ、モルッカ、日本。「日本人はこれまで会った民の中で最も優れている」。中国へ渡ろうとして、広州沖の上川島で熱で死んだ。46歳。遺体はゴアにあり、腐らないと言われ、右腕はローマにある。

関わったできごと(1)

ザビエルの来日AD1549年8月15日(天文18年7月22日) · 来た

本文

フランシスコ・デ・ハッソ・イ・アスピリクエタ。1506年、ナバラ王国のハビエル城。バスクの貴族。彼が6歳のとき、カスティーリャがナバラを併合し、父は死に、兄たちはフランス側でカスティーリャと戦って負け、城の塔は壊された。

1525年、パリ大学。サント・バルブ学院。同室がサヴォワのピエール・ファーヴルと、38歳の元軍人イグナティウス・デ・ロヨラ。イグナティウスは彼に何度も言った。「人が全世界を得ても、自分の魂を失えば、何の益があるか」。1534年8月15日、モンマルトルの礼拝堂で7人が誓った。清貧、貞潔、エルサレム巡礼。イエズス会。1540年、教皇が認めた。

ポルトガル王ジョアン3世がインドへの宣教師を求め、1541年、リスボンを出た。ゴア。インド南端の真珠採りの漁民パラヴァ族。2万人に洗礼。マラッカ。モルッカ諸島のアンボン、テルナテ、モロ島(首狩りの島)。1547年、マラッカでアンジロウ。1549年、日本。1551年、日本を出て、ゴア。1552年、中国へ。上川島。12月3日。

「日本人はこれまで会った民の中で最も優れている」。同時に、日本の言葉ができず、通訳のアンジロウの仏教用語で神を「大日」と説き、真言宗の僧に歓迎されて、間違いに気づいて「大日を拝むな」と言い直した。

遺体は上川島に埋められ、マラッカに移され、1554年、ゴアへ。腐敗していなかった、と言われる。ボン・ジェズス教会。1614年、右腕が切り取られてローマのジェズ教会へ。10年に一度、遺体が公開される。

1622年、列聖。イグナティウスと同じ日。宣教師の守護聖人。山口にザビエル記念聖堂、鹿児島にザビエル公園。日本語では「ザビエル」で、スペイン語ではハビエル、バスク語ではシャビエル。