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Person / 人

フランシス・パーキンズ

Frances Perkins
AD1880年4月10日 – AD1965年5月14日(享年85)
アメリカ合衆国重要度 4

概要

マサチューセッツの生まれ。1911年3月25日、友人宅でお茶を飲んでいて騒ぎを聞き、通りへ出て、トライアングル工場から人が落ちてくるのを見た。以後、労働の安全に生涯を費やした。ニューヨーク州の工場調査委員会で三十を超える法を作らせ、州の労働長官を経て、1933年、合衆国初の女性閣僚となる労働長官に就いた。十二年在任し、社会保障法、公正労働基準法、最低賃金、週四十時間、児童労働の禁止を実現した。

所属

アメリカ合衆国

関わったできごと(1)

トライアングル・シャツウエスト工場の火災AD1911年3月25日 · 通りで見ていた

本文

**フランシス・パーキンズ**(1880〜1965年)。

**本名——**ファニー・コラリー・パーキンズ**。

(——**後に、「フランシス」に改めた**。

**理由の一つは、**女性であることを、名前から読み取られにくくするため**だった、とされる**。)

**マサチューセッツ州、ボストン**の生まれ。**育ちは、ウースター**。

(**中産階級の、**共和党支持の、会衆派の家**である**。

**父は、**文具商**。)

**1902年、**マウント・ホリヨーク大学**を卒業(化学と物理)。

(——**在学中に、**工場を見学する授業**があった**。

**そこで、**労働の現場を、初めて見た**。

**そして、**ジェイコブ・リースの『向こう半分の人々の暮らし』**を読んだ**。

〈**ニューヨークの、貧民街の写真集である**。〉)

**その後**。

(**シカゴの**ハル・ハウス**(ジェーン・アダムズのセツルメント)で働いた**。

〈**——**移民の貧民街の中に、**教育と保育と法律相談の場を作る**運動である**。〉

**そして、**コロンビア大学で、修士号**(経済学と社会学、1910年)。

**論文——**ヘルズ・キッチンの、栄養失調の子どもたちについての調査**。

〈**——**実地の、戸別調査である**。〉

**1910年、**ニューヨーク州消費者連盟**の事務局長**。

**——**ロビイストとして、**州議会に通い始めた**。

〈**最初の仕事の一つが、**女性の労働時間を週54時間に制限する法案**である**。

**そして、**通した**(1912年)。〉)

**1911年3月25日**。

(——**土曜日の午後**。

**彼女は、**ワシントン・スクエアに面した友人の家で、**お茶を飲んでいた**。

**通りから、**叫び声が聞こえた**。

**——**外へ出た**。

**そして、**見た**。

〈**彼女は、後年、繰り返し、この日について語った**。

**「わたしたちは、**通りへ走った**。

**……**そして、そこに立っていた**。

**……**あの人たちが、飛び降りるのを、見ていた**。

**……**わたしたちには、**どうすることもできなかった**」**という趣旨のことを。

**そして——**

**「その日、**ニューディールは始まった**」**。〉)

**その後**。

(**1911年、**ニューヨーク州工場調査委員会**の、**主任調査官**。

〈**——**彼女が、委員たちを、**実際の工場へ、連れて行った**。

**アル・スミス**と**ロバート・ワグナー**を、**朝五時に、缶詰工場へ連れて行った**。

**そして、**梯子のような非常階段を、自分たちで降りさせた**。

**——**「報告書を読ませるより、見せたほうが速い」**。〉

**四年で、**36の法律**。〉

**1919年、**ニューヨーク州工業委員会の委員**(州で初の女性)。

**1929年、**州の労働長官**(フランクリン・ローズヴェルト知事の任命)。

**労働長官**。

**1933年3月4日、就任**。

(——**合衆国史上、**最初の女性閣僚**である**。

**そして、彼女は、**就任を受ける条件**を、ローズヴェルトに提示した**。

〈**紙に、書いて持って行った**。

**(1)**失業保険**。

**(2)**老齢年金**。

**(3)**児童労働の禁止**。

**(4)**最低賃金**。

**(5)**労働時間の上限**。

**(6)**公共事業による雇用**。

**(7)**労災補償**。

**(8)**そして、**健康保険**。

**——「これを、やる気がないなら、わたしは受けません」**。

**ローズヴェルトは、**やる、と答えた**。

〈**そして、**最後の一つ(健康保険)だけが、実現しなかった**。

**——**アメリカは、いまも、それを持っていない**。〉〉)

**在任——十二年**。

(**1933年から1945年**。

**——**アメリカ史上、**最も長く務めた労働長官**である**。〉)

**やったこと**。

(**(1)**社会保障法**(1935年)。

〈**——**彼女が、委員会の議長だった**。

**老齢年金、失業保険、そして扶助**。

**——**アメリカの、福祉国家の土台である**。〉

**(2)**公正労働基準法**(1938年)。

〈**最低賃金**(当初、時給25セント)。

**週40時間**(当初は44時間から段階的に)。

**そして、**児童労働の禁止**。

**——**トライアングルの犠牲者の、最年少は14歳だった**。〉

**(3)**民間資源保存団**(CCC)、**公共事業**。

**(4)そして、**全国労働関係法**(ワグナー法、1935年)に関わった**。〉)

**攻撃**。

(——**激しかった**。

**(1)**女性であること**。

〈**閣議で、**彼女の発言が、無視された**という記録がある**。

**——彼女は、**地味な服と、三角帽子**を、意図的に着た**。

**「男たちが、**母親を思い出すように**」**、と後に語っている**。〉

**(2)**1939年、下院が、彼女の弾劾を試みた**。

〈**理由——**共産主義者とされた労働運動家**ハリー・ブリッジズ**の、国外退去を進めなかった**こと**。

**——**司法手続きの結果を待つべきだ、というのが、彼女の立場だった**。

**下院司法委員会が、**弾劾を却下した**。

**——**それでも、**彼女は、深く傷ついた**。〉

**(3)そして、**ユダヤ系の難民の受け入れをめぐって**。

〈**彼女は、**受け入れを、拡大しようとした**。

**——**国務省と、議会に、阻まれた**。

**〈セントルイス号事件。〉**

**彼女が、**やろうとして、できなかったこと**である**。〉)

**私生活**。

(——**ほとんど、語らなかった**。

**夫**ポール・ウィルソン**は、**双極性障害**を患い、**人生の後半の大半を、施設で過ごした**。

**彼女が、**働いて、その費用を払い続けた**。

〈**——**だから、彼女は、**辞められなかった**、という面がある**。〉

**そして、**結婚後も、旧姓を使い続けた**。

**——**それが、法廷で争われた**(1913年、ニューヨーク州最高裁が、彼女の権利を認めた)。〉)

**その後**。

(**1945年、**ローズヴェルトの死**。

**——トルーマンの下で、**しばらく留任し、その後、退任**。

**そして、**公務員委員会**の委員(1946〜53年)。

**晩年は、**コーネル大学で、教えた**。

**1965年5月14日、死去**。**85歳**。〉)

**残ったもの**。

(——**アメリカで、**社会保障の小切手を受け取っている人**。

**最低賃金で働いている人**。

**週末が休みである人**。

**——**その制度の、多くが、彼女の署名の下で作られた**。

**そして、彼女は、こう言った**。

**「わたしは、**あの日、飛び降りた人たちに、借りがある**」**という趣旨のことを、繰り返し。

〈**2015年、**労働省の本部の建物**が、**「フランシス・パーキンズ・ビル」**と名づけられた**。〉)

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