概要
桓武の子。兄平城から譲られ、薬子の変で兄を退けた。蔵人所と検非違使。『凌雲集』『文華秀麗集』。空海、橘逸勢と三筆。50人の子を源氏にした。嵯峨源氏。退位して嵯峨院に住み、その跡が大覚寺。「薄葬にせよ」と遺言した。
関わったできごと(1)
薬子の変AD810年(弘仁元年)9月 · 天皇本文
嵯峨天皇。神野。 786年。 桓武の第二皇子。母は藤原乙牟漏。 806年。皇太弟。 809年。即位。 810年。薬子。 「蔵人所。藤原冬嗣、巨勢野足」。 「検非違使。816年頃」。 「『弘仁格式』」。 「『新撰姓氏録』。815年。1182氏」。 「『凌雲集』814年。『文華秀麗集』818年。『経国集』827年。勅撰漢詩集」。 「『文章は経国の大業』。曹丕」。 「空海。『風信帖』。『灌頂歴名』。東寺を、空海に。823年」。 「最澄。『大乗戒壇』。死後に許した」。 「三筆。『光定戒牒』。『哭澄上人』」。 「唐風。『弘仁文化』」。 「殿上。『平安宮の建物の名を、唐風に』」。 「源氏。『814年。皇子皇女に、源の姓。信、弘、常、明、融』。『嵯峨源氏』。『50人』」。 「『皇族が、多すぎる。国費を』」。 823年。弟の淳和に。「兄弟で、交互に。『嵯峨系と淳和系』」。 「嵯峨院。『大覚寺』」。 「『冷然院』」。 842年。「薄葬。『私を、山に。人に知らせるな。喪服を着るな』」。 「嵯峨山上陵」。 「妻。橘嘉智子。檀林皇后。『九相図。私の遺体を、道に。腐るのを、見せよ』」。 「仁明。文徳。清和。陽成。光孝。宇多」。 「彼の子孫が、天皇」。 「『承和の変』は、彼が死んだ、2日後」。 「『二所朝廷』を退けた天皇が、『兄弟の交互』を作って、それが、承和の変に」。 「平安時代の、形は、彼が」。 「『蔵人』『検非違使』『源氏』『唐風』『三筆』」。 「『薄葬』」。 「彼だけ、守られた」。