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Person / 人

欽明天皇

Emperor Kinmei
? – AD571年
重要度 4

概要

継体天皇の子。蘇我稲目の二人の娘を妃にし、そこから用明、推古、崇峻が生まれた。仏教が来た天皇。百済の聖明王と組み、新羅に任那を取られた。「任那を復興せよ」と遺言した。天皇の実在が確かなのは、この人あたりから。

関わったできごと(1)

仏教の日本伝来AD538年(552年説もある) · 天皇

本文

欽明天皇。天国排開広庭。 継体の子。母は手白香皇女。 「531年に継体が死んで、安閑、宣化、そして」。 「539年」。 「あるいは531年」。 「『百済本記』の辛亥の年」。 「二朝並立」。 「蘇我稲目の娘、堅塩媛と小姉君」。 「用明、推古、崇峻、穴穂部」。 538年。「仏教」。 「『上宮聖徳法王帝説』は戊午。『元興寺縁起』も戊午。538年」。 「『日本書紀』は壬申。552年」。 「『日本書紀』は、末法の始まりの年に合わせた」。 「百済の聖明王」。 「『この法は諸法の中で最も勝れ、解り難く入り難い。周公孔子もなお知らない。無量無辺の福徳果報を生じ、無上の菩提を成す』」。 「『西蕃の諸国は皆礼う。豊秋日本だけが背くのか』」。稲目。 「『我が国の天下の王は、天地社稷の百八十神を春夏秋冬に祭る。今、蕃神を拝めば、国神の怒りを致す』」。尾輿。 「『稲目に試みに礼わせよ』」。 「疫病」。「像を難波の堀江に」。「寺を焼いた」。 「任那」。 「562年、新羅が任那を滅ぼした」。 「『任那を復興せよ』」。 「571年、死んだ」。 「『新羅を討って任那を建てよ。私の遺言』」。 「桧隈坂合陵」。 「見瀬丸山古墳。310メートル。奈良で最大。欽明の陵と学者は言う」。 「宮内庁は別の古墳」。 「『日本書紀』の欽明紀は、百済の記録で埋まっている。『百済本記』」。 「彼の時代から、記録が確かになる」。 「稲荷山鉄剣の『獲加多支鹵』は雄略。それから欽明まで、天皇の実在は、少しずつ確か」。 「彼は、蘇我の血を、天皇家に入れた」。 「彼の孫が聖徳太子」。