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Person / 人

アレクサンドリアのキュリロス

Cyril of Alexandria
AD376年頃 – AD444年(享年68・推定)
ローマ帝国重要度 3

概要

叔父の跡を継いでアレクサンドリアの総主教になり、ユダヤ人を追放し、ヒュパティアが殺された年の街を治めていた。ネストリウスを、相手が着く前に会議を開いて断罪した。教会博士だが、その手口は同時代から批判された。

所属

ローマ帝国

関わったできごと(1)

エフェソス公会議AD431年 · 断罪した側

本文

叔父のテオフィロスがアレクサンドリアの総主教で、 その下で育った。 403年、叔父と一緒にコンスタンティノープルへ行き、 ヨアンネス・クリュソストモスを追放する「樫の木の会議」に加わった。 412年、叔父が死んで、跡を継いだ。 軍が出動するほどの選挙のあとで。

ノヴァティアヌス派の教会を閉じた。 415年、ユダヤ人を街から追い出した。 アレクサンドリアに、プトレマイオス以来700年住んでいた。 総督オレステスと争った。 修道士がオレステスに石を投げ、 オレステスがその修道士を処刑し、 キュリロスがその修道士を殉教者として祀った。 同じ年、 オレステスの友人だった哲学者ヒュパティアが、 「パラバラニ」(教会の看護人の集団)に殺された。 教会に引きずり込んで、陶片で肉を削ぎ、焼いた。 キュリロスの関与は証明されていない。 だが彼の街で、彼の下にいた人々がした。

428年、ネストリウス。 「神の母」。 最初は手紙、 それから12の呪詛文、 それから教皇と皇帝の妹プルケリアへの働きかけ。 エフェソス。 相手が来る前に開会した。 断罪のあと、皇帝に逮捕されて、 金を配って出た。 宮廷の女官と宦官への贈り物の一覧が、残っている。 「エウロギア」(祝福)と呼んだ。

433年、アンティオキアのヨアンネスと和解した。 「合一の信条」。 互いに少し譲った。

444年に死んだ。 「悪意の人が、ようやく死んだ。 彼が死者の中で暴れないよう、墓に重い石を置け」 と書いた同時代の手紙がある。 テオドレトスの名で。偽作の可能性がある。

教会博士。 正教会でもカトリックでも、 その神学は正統の柱になった。 451年のカルケドンは、 キュリロスの言葉を使って、 キュリロスの弟子の一部を断罪した。 コプト教会は、その弟子たちの教会になる。