概要
ゲルマニクスの弟。どもり、足を引きずり、家族に「馬鹿」と隠された。カリグラが殺されたとき、カーテンの後ろで見つかり、近衛兵が皇帝にした。歴史を書いた。ブリタニア。解放奴隷に行政を。妻メッサリナは彼の留守に結婚式を挙げて処刑された。次の妻アグリッピナに毒キノコで殺され、ネロが。
所属
ローマ帝国関わったできごと(1)
クラウディウスのブリタニア征服AD43年 · 皇帝本文
ティベリウス・クラウディウス・ネロ・ゲルマニクス。ルグドゥヌム(リヨン)生まれ。ドルススとアントニア(マルクス・アントニウスの娘)の子。ゲルマニクスの弟。子供のときの病気で、どもり、足を引きずり、頭が揺れ、口から涎が出た。母は「人間の形をしていない怪物」と言った。祖母リウィアは手紙でしか話さなかった。アウグストゥスは「見せ物にしないように」と書いた。公職から外された。
歴史を書いた。エトルリア史20巻、カルタゴ史8巻。リウィウスが勧めた。アウグストゥスの治世史を始めて、内戦のところで家族に止められた。エトルリア語を読めた最後の人だと言われる。
41年1月24日、近衛兵がカリグラを殺した。クラウディウスは宮殿のカーテンの後ろに隠れているのを兵に見つかった。殺されると思った。担がれて皇帝にされた。50歳。元老院は共和政の復活を話し合っていた。
皇帝として、ブリタニア征服、オスティアの港、水道(アクア・クラウディア)、フキヌス湖の干拓、ガリアの貴族の元老院入り。解放奴隷のナルキッススとパッラスが行政を握った。
3番目の妻メッサリナ。クラウディウスがオスティアにいる間に、ガイウス・シリウスと公然と結婚式を挙げた。処刑された。4番目の妻は姪のアグリッピナ。連れ子のネロを養子にさせ、54年10月13日、キノコで毒殺したと言われる。翌年、ネロはクラウディウスの実子ブリタンニクスを毒殺した。
セネカが『アポコロキュントシス(かぼちゃ化)』を書いて、死んだクラウディウスを笑った。ロバート・グレーヴズの『この私、クラウディウス』(1934年)で、賢いふりの馬鹿になった。