クラウディウス
概要
ゲルマニクスの弟。どもり、足を引きずり、家族に「馬鹿」と隠された。カリグラが殺されたとき、カーテンの後ろで見つかり、近衛兵が皇帝にした。歴史を書いた。ブリタニア。解放奴隷に行政を。妻メッサリナは彼の留守に結婚式を挙げて処刑された。次の妻アグリッピナに毒キノコで殺され、ネロが。
所属
ローマ帝国関わったできごと(1)
クラウディウスのブリタニア征服AD43年 · 皇帝本文
ティベリウス・クラウディウス・ネロ・ゲルマニクスは、紀元前10年8月1日、ガリアのルグドゥヌム(今のリヨン)で生まれた。父はアウグストゥスの妻リウィアの連れ子ドルスス、母はマルクス・アントニウスとオクタウィアの娘アントニアである。兄は民衆に愛された将軍ゲルマニクス。血筋だけを見れば、これ以上ない皇族だった。

だが幼いころの病のせいで、彼はどもり、足を引きずり、興奮すると頭が揺れ、涎を垂らした。スエトニウスによれば、母アントニアは彼を「自然が作りかけでやめた人間の怪物」と呼び、誰かの愚かさをけなすときは「わが子クラウディウスより馬鹿だ」と言ったという。祖母リウィアは彼とほとんど口をきかず、用件は短い手紙で伝えた。アウグストゥスはリウィアへの手紙で、この少年を公の場に出せば人の笑いものになると心配し、儀式では人目につかない席に置くよう指示している。公職への道は閉ざされた。
閉ざされた代わりに、彼は書いた。歴史家リウィウスに勧められて歴史の執筆を始め、ギリシア語で『エトルリア史』20巻、『カルタゴ史』8巻を書いた。アウグストゥスの治世の歴史も書き始めたが、内戦の部分にさしかかると母と祖母に止められたという。エトルリア人の妻を持ち、エトルリア語を読めた最後の世代の一人だったと考えられている。ラテン語のアルファベットに三つの文字を加えることも提案し、皇帝になってから実際に使わせた。どれも彼の死とともに消えた。著作は一行も残っていない。

紀元41年1月24日、甥の皇帝カリグラが近衛兵に殺された。宮殿にいたクラウディウスは怯えてカーテンの陰に隠れたが、通りかかった兵士に足を見つけられて引きずり出された。殺されると思って足元にひれ伏した彼を、兵士たちは皇帝として担ぎ上げ、近衛隊の陣営に運んだ。元老院はその間、共和政に戻すことを議論していたが、兵を持たない議論は一日で終わった。このとき50歳。近衛兵に推されて即位した最初の皇帝であり、彼は即位の見返りに兵士一人ひとりに大金を約束した。その前例は、後の皇帝たちを縛ることになる。
即位した皇帝がまず手をつけたのは、カリグラの暴政の後始末だった。反逆罪の告発を止め、追放されていた人々を呼び戻した。一方で、カリグラを殺した近衛の将校たちは処刑した。皇帝殺しを許すわけにはいかなかったのである。彼の治世には元老院議員や騎士への粛清も多く、スエトニウスによれば35人の議員と300人以上の騎士が命を落とした。愚かさの裏に、身を守るための冷酷さもあった。

馬鹿と見られていた男は、驚くほど働いた。紀元43年、クラウディウスのブリタニア征服を命じ、自らも海を渡って象を連れて進軍し、16日間だけ島に滞在してローマに凱旋した。オスティアには大型船が入れる新しい港を掘らせ、首都の穀物の供給を安定させた。水道アクア・クラウディアと新アニオ水道を完成させ、フキヌス湖の水を抜くために山を貫く長い地下水路を11年かけて掘らせた。紀元48年には、ガリアの有力者を元老院に入れるよう演説した。その演説はリヨンで青銅板に刻まれて今も残り、タキトゥスもその趣旨を伝えている。属州の人間をローマの統治者に加えるという方針は、帝国が長く続く理由の一つになった。裁判にも熱心に出て、自ら判決を下した。
ブリタニアで最後まで抵抗した部族の長カラタクスは、紀元51年に捕らえられ、鎖につながれてローマに引き出された。タキトゥスによれば、カラタクスは皇帝の前で臆することなく、自分を殺せばすぐ忘れられるが、生かせば寛大さの永遠の証になるだろう、と語った。クラウディウスは彼と家族を赦した。

一方で、行政の実務は解放奴隷たちが握った。書簡を扱うナルキッスス、財務のパッラスらは莫大な富を築き、元老院の貴族たちの反感を買った。皇帝が元奴隷を側近に使うのは、貴族を信用できなかったからでもある。
家庭は彼の弱点だった。3番目の妻メッサリナは、紀元48年、夫がオスティアに出かけている間に、愛人の執政官予定者ガイウス・シリウスと公然と結婚の儀式を挙げた。ナルキッススが動き、メッサリナは処刑された。報告を受けた皇帝は、食事の手を止めずに酒をもう一杯と言っただけだった、とタキトゥスは書いている。翌年、彼は姪にあたるアグリッピナと結婚した。ゲルマニクスの娘である。アグリッピナは連れ子のネロを養子にさせ、実子ブリタンニクスより先に立てることに成功した。

紀元54年10月13日、クラウディウスは死んだ。63歳。アグリッピナが毒キノコを食べさせたというのが古代の歴史家たちの一致した見方だが、病死だった可能性を考える研究者もいる。翌年、ネロは義弟ブリタンニクスを毒殺した。
死後、元老院は彼を神格化したが、ネロの家庭教師セネカは、神になろうとして天上で拒まれるクラウディウスを笑う風刺『アポコロキュントシス(かぼちゃになること)』を書いた。長く愚かな皇帝の典型とされてきた彼を、1934年、ロバート・グレーヴズは小説『この私、クラウディウス』で、愚か者を装って生き延びた知恵者として描き直した。近年の歴史家の評価も、行政の改革者としての面を認める方向にある。