概要
陸士11期。朴正熙の暗殺のあと粛軍クーデターで軍を握り、光州を鎮圧し、大統領に。7年。ソウル五輪を招致した。退任後、寺に籠り、1996年に反乱と収賄で死刑判決、特赦。追徴金を払わずに90歳で死んだ。光州には謝らなかった。
関わったできごと(1)
光州民主化運動AD1980年5月18日 · 鎮圧本文
全斗煥。 1931年。慶尚南道陜川。 陸軍士官学校11期。盧泰愚と同期。 「ハナ会」。 1979年10月26日、朴正熙が撃たれた。保安司令官として捜査を握った。 12月12日。粛軍クーデター。鄭昇和参謀総長を逮捕。 1980年5月17日、戒厳令。 5月18日、光州。 8月、大統領。統一主体国民会議。99.9%。 1981年、第五共和国。 「正義社会の実現」。 三清教育隊。4万人。 言論統廃合。 プロ野球。カラーテレビ。夜間通行禁止の解除。「3S」。 1983年、アウンサン廟。ラングーン。北朝鮮の爆弾。閣僚17人が死んだ。彼は遅れて助かった。 1987年、4・13護憲。6月。6・29。 1988年、退任。ソウル五輪。 11月、百潭寺。2年。「謹慎」。 1995年、金泳三。「歴史立て直し」。逮捕。 1996年、死刑。「反乱首謀、内乱首謀、収賄」。 1997年、無期。12月、特赦。金大中の当選のあと。 追徴金2205億ウォン。「全財産は29万ウォン」。 2021年11月23日。90歳。ソウルの自宅。 光州への謝罪はなかった。 国立墓地には入れなかった。 遺骨は2年、自宅にあった。
「光州の元凶」。 「経済を安定させた」。 「ソウル五輪を招致した」。 彼が撃たせた学生の写真が、彼の顔より、韓国でよく知られている。 2019年、光州の裁判所に、車椅子でなく歩いて入った。「名誉毀損」。ヘリの発砲を否定した本。 2020年、有罪。執行猶予。 控訴中に死んだ。 最後まで、認めなかった。