概要
カトゥウェッラウニ族の王クノベリヌスの子。「シンベリン」。43年に負けてウェールズへ。8年、ゲリラ。カルティマンドゥアに売られた。ローマ。「なぜこれほど持つ者が、我々の小屋を欲しがるのか」。クラウディウスが赦した。ローマで死んだ。ブリテンで最初に名の残る抵抗者。
関わったできごと(1)
クラウディウスのブリタニア征服AD43年 · 戦った本文
カトゥウェッラウニ族の王クノベリヌス(シェイクスピアのシンベリン)の子。カトゥウェッラウニはテムズの北、いまのハートフォードシャーで、南のトリノウァンテスを併合し、カムロドゥヌムを首都にした。ブリタニアで最強の部族だった。
40年頃、父が死んで、兄トゴドゥムヌスとカラタクスが継いだ。隣のアトレバテスの王ウェリカを追い出し、ウェリカがローマに逃げた。43年、クラウディウスが4個軍団を送った。メドウェイ川、テムズ川。トゴドゥムヌスが死んだ。カムロドゥヌムが落ちた。
カラタクスは西へ。ウェールズのシルレス族とオルドウィケス族。8年、ゲリラ戦。51年、セウェルン川の上流のどこか(場所は分からない)で総督オストリウス・スカプラと会戦し、負けた。妻と娘と弟が捕まった。カラタクスは北のブリガンテス族の女王カルティマンドゥアを頼り、女王はローマに引き渡した。
ローマ。タキトゥスの『年代記』12巻。凱旋の見世物にされ、鎖で市内を歩かされた。演説。「私がこれほどの家柄と富を持ちながら、成功していたら、私は友人として来ただろう。私の運命が私を辱め、あなたを輝かせた。私が殺されれば、すぐ忘れられる。生かされれば、あなたの寛大さの証拠になる」。クラウディウスは赦した。ディオは付け加える。ローマの街を見て、「これほどのものを持ちながら、なぜ我々の小屋を欲しがるのか」。
ローマで死んだ。ウェールズには、カラドッグの名で伝説が残った。