概要
ロンドン。フランス系。鉄道の測量から、首都建設委員会の技師長へ。1858年の大悪臭の後、下水道を任された。管の勾配、断面(卵形。水量が少ないときも流速が保てる)、そしてポンプ場(アブビー・ミルズは「下水の大聖堂」と呼ばれる装飾)。テムズの堤も彼の仕事。ハマースミス橋、バタシー橋。ナイト。彼が計算の2倍の管を敷いたおかげで、ロンドンは150年、それで足りている。
関わったできごと(1)
ロンドンの下水道AD1865年 · 作った本文
ジョゼフ・ウィリアム・バザルジェット。1819年、エンフィールド生まれ。祖父はフランスからの移民。父は海軍の士官。
鉄道の測量技師として働き、過労で倒れ、療養した。回復して、1849年、首都下水委員会に入った。
当時のロンドン。人口250万。汚水は、家の下の汚水溜め(20万個)に貯め、汲み取る。溢れたものは、道の溝を通ってテムズ川へ。上水は、そのテムズ川から汲んでいた。
1848〜49年、コレラで1万4千人。1853〜54年、1万人。
1854年、ジョン・スノウが、ソーホーのブロード街のポンプの柄を外させて、その一角のコレラを止めた。しかし、彼の「水から伝染する」という説は、すぐには受け入れられなかった。当時の主流は瘴気説(悪い空気が病気を起こす)。
1858年6月〜8月。異例の暑さ。テムズ川の悪臭が耐えがたくなった。国会議事堂の窓には、塩化石灰を浸した布が掛けられた。議員が逃げ出しかけた。「大悪臭(グレート・スティンク)」。
18日で法案が通った。首都事業委員会に、下水道を作る権限と、財源(借入と地方税)が与えられた。技師長はバザルジェット。
設計。テムズ川に流れ込む既存の下水を、川岸に沿った巨大な遮集渠(インターセプター)で受け止め、東へ、ロンドンの下流(北岸はベックトン、南岸はクロスネス)まで運んで、引き潮のときに放流する。
北岸3本、南岸2本、計132km の主要幹線と、1770km の街路下水。
彼の判断。管の直径を計算し、「この人口の、この量」を出した後、それを倍にした。「予期しないことが起きるだろうから」。ロンドンの人口はその後、彼の想定を超えて増えた。この余裕が、20世紀まで持った。
材料。ポルトランド・セメント(当時は新しい材料。品質が不安定だったので、彼は納入ごとに強度試験をさせた)。煉瓦3億1800万個。
そして、川岸を埋め立てた。ヴィクトリア堤防(1870年完成)、アルバート堤防、チェルシー堤防。堤防の中に、遮集渠と、地下鉄(メトロポリタン鉄道の延伸)と、ガス管と、水道管を通し、上を街路と庭園にした。テムズ川は、この工事で幅が狭まり、流れが速くなった。
1866年、東部でコレラが起きた。まだ工事が済んでいない地区だった。これが最後の大流行になった。
費用650万ポンド。1865年、皇太子が主要部の開通を祝った。1875年、全体が完成。
1874年、ナイト。1891年、死去。ヴィクトリア堤防に、彼の胸像がある。銘は「FLVMINI VINCVLA」(川に、鎖を)。
彼の下水道は、いまも使われている。2016年から、より大きな新しい幹線(テムズ・タイドウェイ・トンネル)の工事が始まった。ロンドンの人口が900万を超え、雨のたびに未処理の下水が川へ溢れるようになったため。