概要
嵐に流されてアフリカの南端を回り、「嵐の岬」と名づけた。王が「喜望峰」に変えた。インドへは行かせてもらえず、カブラルの船団の一隻を任され、その喜望峰の沖で嵐に沈んだ。
所属
ポルトガル帝国関わったできごと(1)
喜望峰の回航AD1488年 · 船長本文
生まれた年も場所も、はっきりしない。 1450年頃。 ジョアン2世の宮廷の騎士で、 王の倉庫の管理をしていた。 1487年8月、 2隻と補給船1隻で、リスボンを出た。 南へ。 ディオゴ・カンが着いたコンゴの先へ。 1488年1月、嵐。 13日、陸が見えないまま南へ流された。 東へ向かい、陸がなかった。 北へ。 2月3日、モッセル湾。 牛を飼う人々。 石を投げられ、 ディアスは弩で一人を殺した。 「岬を、知らないうちに回っていた」。 東へ。 グレート・フィッシュ川。 海岸が北東へ曲がっていた。 インド洋。 船員が、帰ろうと言った。 3月12日、石の柱を立てて、 帰った。 帰りに岬を見た。 「嵐の岬」(カボ・トルメントーゾ)。 1488年12月、リスボン。 16か月。 王が「喜望峰」(カボ・ダ・ボア・エスペランサ)に変えた、と バロスは書く。 ディアス自身がそう名づけた、とも。
コロンブスが、 その帰港をリスボンで見ていた。 「ポルトガルには、東の道がある」。 コロンブスはスペインへ行った。
ディアスはインドに行かせてもらえなかった。 理由は分からない。 ガマの船を設計し、監督した。 1497年、ガマと一緒にカーボヴェルデまで行き、 そこで別れてエルミナ(ギニア)へ。 1500年、カブラルの13隻の1隻。 ブラジル。 5月24日、喜望峰の沖。 嵐。 4隻が沈んだ。 その1隻。 「彼が名づけた岬の沖で」。 カモンイス『ウズ・ルジアダス』(1572年)。 岬の巨人アダマストル。 「私を、最初に見た者は、私の沖で死ぬ」。 ケープタウンの国会議事堂の前に、 像が立っている。 南アフリカの最初のヨーロッパ人として。