概要
ノルマンディーの帽子屋の子。行商から始め、パリの織物店の売り子になった。1852年、共同経営者としてボン・マルシェに入り、やがて全部を買い取る。薄利多売、正価、返品自由、自由な入店。従業員に利益分配と年金の制度を設け、社宅と食堂を用意した。同時に、労働は長時間で、規律は厳格である。妻マルグリットは、洗濯女から身を起こした人で、夫の死後に事業を継ぎ、その財産の大半を慈善に充てた。
関わったできごと(1)
ボン・マルシェAD1852年 · 作った本文
**アリスティド・ブシコー**(1810〜1877年)。
**ノルマンディー、ベレーム**(オルヌ県)。
(**——**父は、**帽子屋**である**。
**——**そして、**息子は、**十八歳で、家を出た**。
〈**——**行商**。
**——**布と、小間物を、担いで、村を、回った**。〉
**——**そして、**パリへ**。
〈**——**1835年頃**。
**——**「プティ・サン・トマ」**という織物店の、**売り子**になった**。
**〈——そこで、**十数年**、働いた。**
**——そして、**売り場の主任**になった。〉**〉)
**1852年**。
(——**「ボン・マルシェ」**。
〈**——**当時、**小さな織物店**である**。
**——**従業員、**十二人**。**売上、**約45万フラン**。
**——**彼は、**共同経営者として、入った**。
**——**出資は、**約5万フラン**。
**〈——長年の、貯金である。〉**〉
**——**そして、**1863年、**共同経営者と、袂を分かち、**全部を、買い取った**。〉)
**方針**。
(——**四つである**。
〈**(1)**正価**(prix fixe)——**交渉を、しない**。
**(2)**薄利多売**——**利幅を、極端に、薄く**。
**(3)**返品自由**——**気に入らなければ、返してよい**。
**(4)**自由な入店**——**買わずに、出てよい**。〉
**——**そして、**この四つが、**当時、いずれも、常識に、反していた**。
〈**——**同業者は、**「気が狂った」**と言った、と伝えられる**。〉
**——**そして、**成功した**。
〈**——**1852年、45万フラン**。
**——**1860年、**約500万**。
**——**1870年、**約2,000万**。
**——**1877年(彼の死の年)、**約7,300万**。
**——**そして、**1887年、**約1億5,000万**。〉)
**建物**。
(**1869年、**新築の着工**。
〈**——**設計、**ルイ=シャルル・ボワロー**。
**——**そして、**鉄の構造に、**ギュスターヴ・エッフェルの事務所**が、関わった**。
**——**中央の、**大きな吹き抜け**と、**ガラスの天窓**。
**——**そして、**鉄の階段**が、**空中を、渡っている**。
**〈——それ自体が、**見世物である**。**
**——「劇場のようだ」と、当時、書かれた。〉**〉)
**従業員**。
(——**彼は、**当時としては、**先進的な制度**を、作った**。
〈**(1)**利益分配**(1876年)。
**(2)**年金基金**(1876年)。
**〈——妻マルグリットが、後に、それを、拡充した。〉**
**(3)**社宅**(店の上階)**と、**食堂**。
**(4)**無料の講座**。
**〈——語学、音楽、フェンシング、そして乗馬。〉**
**(5)そして、**医務室**。〉
**——**そして、**同時に**。
〈**——**労働時間、**一日、十二時間から十五時間**。
**——**歩合制**。**そして、**売上の順位が、貼り出された**。
**——**「売れない者は、辞める」**。
**——**さらに、**住み込みのため、**結婚が、事実上、難しい**。
**〈——ゾラが、**この両面を、書いている**。**
**——「彼らは、**機械の歯車として、消費される**」。**
**——そして、同時に、**「ここでは、上へ、行ける」**。〉**
**——**離職率が、**高かった**。〉)
**妻**。
(**マルグリット・ゲラン**(1816〜1887年)。
〈**——**ヴォージュ地方の、**貧しい家**。
**——**そして、**パリで、**洗濯女**、**そして、料理屋の手伝い**をしていた**。
**——**そこで、**ブシコーと、出会った**。
**〈——1835年頃。**
**——そして、**息子が生まれてから、結婚した**(1848年)。〉**
**——**彼女は、**店の経営に、深く、関わった**。
**〈——特に、**従業員の福利**について。〉**
**1877年、**夫が死んだ**。
**——**そして、**彼女が、**経営を、継いだ**。
**〈——1879年、**息子アリスティド・ジュニアも、死んだ**(三十四歳)。**
**——一人になった。〉**
**1887年、死去**。
〈**——**遺言**。
**——**財産の、**大部分を、慈善に、充てた**。
**〈——従業員の年金基金に、**一部を。〉**
**——**そして、**パリの、**ボン・マルシェ病院**(現在の、**ボシコー病院**)**を、設立した**。
**〈——いまも、そう呼ばれている。**
**——正確には、彼女の遺贈による。〉**
**——**さらに、**孤児院と、養老院**。〉
**——**そして、**店は、**財団と、従業員の手に、渡った**。〉)
**その後**。
(——**ボン・マルシェは、**いまも、パリにある**。
〈**——**セーヴル街**。
**——**そして、**1984年から、LVMHグループの傘下**である**。〉
**——**そして、**「百貨店」という形**が、**世界中に、広がった**。
〈**——**そのすべてが、**この四つの原則**の上に、立っている**。
**——**正価。返品。自由な入店。そして、薄利多売**。
**——**そして、**その四つが、いま、当たり前すぎて、**誰も、それが発明であったことを、思わない**。〉)