概要
同名の硝子会社の創業家とは血縁が無い。ケンブリッジで機械科学を学び、第二次大戦でクレタ島で捕虜になり、二年半を収容所で過ごした。復員して学業を終え、1947年にピルキントン社へ入った。1952年、皿洗いをする妻の手元で、水に浮いた油の膜を見て着想したと語っている。会社は七年、成果の出ない試験に金を出し続けた。1973年から社長。特許を高圧的に使わず、実施権を広く許諾したことで方式が世界標準になった。
関わったできごと(1)
フロート法AD1959年1月20日 · 考案本文
**ライオネル・アレクサンダー・ベスーン・ピルキントン**(1920〜1995年)。
**通称、アラステア**。
(——**ピルキントン社の創業家とは、**血縁が無い**。
〈**入社の面接で、**そのことを、自分から説明した**、と伝えられる**。
**——**同姓であることが、有利に働かないように**。〉)
**ロンドンの生まれ**。**父は、事務弁護士**。
**シェルボーン校、そして**ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ**(機械科学)。
**戦争**。
**1940年、**在学中に、志願した**。
(**王立砲兵隊**。
**1941年、**クレタ島の戦い**。
——**ドイツの空挺部隊が、島を取った**。
**イギリス軍は、**撤退できなかった部隊があった**。
**彼は、**捕虜になった**。
**そして、**二年半、ドイツの捕虜収容所で過ごした**。
〈**収容所で、**「大学」**が開かれていた**。
**——捕虜のうち、教員と学生が、互いに教え合った**。
**彼は、そこで、**学業を続けた**、と伝えられる**。〉)
**1946年、復員**。
**ケンブリッジに戻り、**学位を取った**。
**1947年、**ピルキントン・ブラザーズ社**に入社**。
(——**セント・ヘレンズ**。
**1826年創業の、**同族の硝子会社**である**。
〈**当時、**イギリスの板ガラス市場を、事実上、独占していた**。〉
**彼は、**技術部門に配属された**。)
**着想**。
**1952年**。
(**彼は、後年、こう語っている**(要旨)。
**「妻が、皿を洗っていた**。
**流しの水の上に、**油の膜が、浮いていた**。
**——それが、**完全に平らだった**」**。
〈**この話は、**彼自身が、繰り返し語ったものである**。
**——ただし、**着想の全体が、そこから出たわけではない**。
**社内では、**溶融金属の上にガラスを浮かべる**という構想が、以前から検討されていた**。
**彼が、**それを、実行可能な形にまとめ、そして、会社を説得した**。〉)
**七年**。
(——**1952年から1958年**。
**廃棄したガラスは、**十万トンを超えた**、とされる**。
**そして、**会社は、金を出し続けた**。
〈**当時の会長、**ハリー・ピルキントン卿**(遠縁)。
**「彼は、わたしを信じた」**と、アラステアは、後に語っている**。
——**同族会社であること**が、この場合、**有利に働いた**。
〈**株主に、四半期ごとの説明をする必要が、無かった**。〉〉
**1959年1月20日、**公表**。
**——世界のガラス産業が、**数年で、これに移った**。)
**その後**。
(**1955年、**取締役**。
**1970年、**ナイト爵**。
**1973年から1980年、**会長**(社長職)。
**そして、**特許の実施許諾を、広く行う方針**を、進めた**。
〈**囲い込まない**。
**——結果、**方式が世界標準になり、そして、**許諾料が、会社の大きな収入になった**。
**〈1970年代、ピルキントン社の利益の相当部分が、許諾料だった、とされる。〉**〉
**1985年、退任**。
**その後、**イギリス放送協会(BBC)の理事、そして各種の公職**。
**1995年5月5日、死去**。**75歳**。)
**残ったもの**。
(——**いま、**世界の板ガラスの90%以上**が、この方法で作られている**。
**そして、**あなたが、いま見ている窓のガラスは、**溶けたスズの上を、静かに流れて、平らになったもの**である**。
〈**下面と上面で、**わずかに性質が違う**。
**——スズに接していた側には、**極微量のスズが、表面に入り込んでいる**。
**紫外線を当てると、**その面だけ、蛍光を発する**。
**〈ガラス職人が、どちらが「スズ面」かを見分けるのに、使う。〉**〉
**そして、彼の言葉**。
**「着想は、簡単だった**。
**難しかったのは、**それが動くと、七年間、信じ続けることだった**」**という趣旨のこと。)