概要
ドナウのゴート人。テオドシウスの下で戦い、待遇に怒って王に。ギリシアを荒らし、イタリアに三度入り、410年8月にローマの塩の門が開いた。3日。800年ぶりの略奪。南へ向かい、コゼンツァで死んだ。川の流れを変えて埋め、戻して、奴隷を殺した。墓は見つかっていない。
関わったできごと(1)
西ゴートのローマ略奪AD410年8月24日 · 王本文
アラリック。 370年頃。ドナウのペウケ島。 バルティ家。 「テルヴィンギ」。 376年、ドナウを渡ったゴート人の子。 378年、ハドリアノポリス。 382年、テオドシウスとの条約。「フォエデラティ」。 394年、フリギドゥス。テオドシウスの側で。「2万のゴート人が先鋒。1万が死んだ」。 395年、テオドシウスが死んだ。 「王」。 「ローマの将軍の位をくれ」。 ギリシア。テッサリア。アテナイ。「アテナイは金で助かった」。コリントス。アルゴス。スパルタ。 スティリコが来た。二度。二度、逃がした。 397年、東の皇帝アルカディウスが「イリュリクムの軍司令官」に。 401年、イタリア。 402年、ポッレンティア。復活祭。スティリコ。妻子が捕えられた。ヴェローナ。「和した」。 405年、ラダガイスス。 407年、「4000ポンドの金」。スティリコが元老院に払わせた。「これは平和ではない。奴隷の契約だ」。ランパディウス。 408年8月、スティリコが殺された。「ローマの兵がゴート人の家族を殺した」。3万人がアラリックの所へ。 408年10月、ローマ。「囲んだ」。「金5000ポンド、銀3万ポンド、絹4000、革3000、胡椒3000ポンド」。 「胡椒」。 「あなたは何を残す」。「命を」。 409年、「ホノリウスが約束を守らない」。二度目。元老院に「アッタルス」を皇帝にさせた。 410年、アッタルスを廃した。 8月24日。塩の門。ポルタ・サラリア。 「奴隷が開けた」。「プロバ夫人が」。 3日。 「教会は襲うな。聖ペテロと聖パウロに逃げた者は殺すな」。 「800年ぶり」。BC390年のケルト人以来。 「ローマは殺された」。ヒエロニムス。ベツレヘムで。 「この街に光があるなら、この街は落ちない」。 アウグスティヌス。『神の国』。「地上の街と神の街」。 ガッラ・プラキディア。皇帝の妹。連れて行った。 南へ。アフリカへ渡ろうとした。レギウム。嵐。 コゼンツァ。「病気」。 ブセント川。「流れを変えて、埋めて、戻して、掘った奴隷を殺した」。 「誰も、墓の場所を知らない」。 2015年、コゼンツァ市が「探す」と言った。 アタウルフ。義弟。ガッラ・プラキディアを妻に。 「私はローマを消してゴティアにしようと思った。だがゴート人は法に従わない。私はローマを、ゴートの力で、立て直す」。 「西ゴート王国」。トゥールーズ。トレド。711年まで。 「アラリックのローマ略奪は、3日で、ローマは残った」。 「だが、『ローマは落ちる』と、誰もが知った」。