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Person / 人

阿部正弘

Abe Masahiro
AD1819年12月3日 – AD1857年8月6日(享年37)
日本重要度 4

概要

25歳で老中首座になり、ペリーが来ると諸大名と庶民にまで意見を求めた。前例のない開国の決め方。人材を登用し、講武所と長崎海軍伝習所を作り、和親条約を結んで、39歳で死んだ。幕府が動けた最後の人。

所属

日本

関わったできごと(1)

黒船来航1853年7月8日(嘉永6年6月3日) · 老中首座

本文

備後福山藩主。 1819年。 江戸生まれ。 25歳で老中、27歳で首座。 水野忠邦のあと。 1853年6月、ペリー。 「将軍が病気で、返事はできない」と、 1年の猶予を取った。 それから、 諸大名、旗本、学者、 町人にまで、 意見を求めた。 700通以上。 「開国やむなし」が多数。 「打ち払え」は少数。 「決められない幕府」と見えた。 だが、 幕府が民の声を聞いた、 最初でもある。 「阿部の、 衆議」。 斉昭を参与に。 勝海舟、 江川英龍、 高島秋帆、 ジョン万次郎、 川路聖謨、 岩瀬忠震、 永井尚志。 「安政の人材」。 講武所、 長崎海軍伝習所、 蕃書調所、 品川台場。 1854年、 和親条約。 下田と箱館。 1855年、 老中首座を堀田に譲った。 斉昭と紀州派の間で。 1857年6月、 死んだ。 39歳。 「胃癌」。 「阿部が、 生きていれば」。 「井伊は、 大老に、 ならなかった」。 「大獄は」。 福山。 「誠之館」。 藩校。 「福山は、 阿部の、 藩」。 「幕末の、 最初の、 10年を、 一人で、 持った」。 「それで、 死んだ」。