概要
作物は、世界のどこで生まれたか。ニコライ・ヴァヴィロフは、遺伝的な多様性が最も高い場所が、その作物の起源地であると考えた。彼は64か国を回り、種を集めた。エチオピア、アフガニスタン、ペルー、中国。集めた標本は25万点を超え、当時、世界最大の種子の集積になった。目的は、飢饉をなくすことである。多様性の中から、寒さと病に強い品種を探す。彼はスターリンの下でルイセンコに敗れ、1940年に逮捕され、1943年、獄中で餓死した。
場所
59.93°N 30.36°E · ロシア
関わった人(1)
ニコライ・ヴァヴィロフAD1887年11月25日–AD1943年1月26日 · 集めた本文
**問い**。
**作物は、どこで生まれたか**。
(小麦は。米は。とうもろこしは。じゃがいもは。
——**そして、その野生の祖先は、どこにいるか**。)
**なぜ、それが重要か**。
**育種のためである**。
(新しい品種を作るには、**素材が要る**。
寒さに強い遺伝子。病に強い遺伝子。乾燥に耐える遺伝子。
——**それらは、どこにあるか**。
**栽培品種の中には、あまりない**。
長年、人が選抜してきた結果、**均一になっている**。
**多様性は、野生種と、そして原産地の在来種の中にある**。)
**ヴァヴィロフ**。
**ニコライ・イワノヴィチ・ヴァヴィロフ**。1887年、モスクワ生まれ。
父は、農村から出てきて成功した商人。
(——**父が、子どもの頃に飢饉を経験していた**。
その話を、息子は聞いて育った。
〈彼は、後に「**私の人生の目標は、この地上から飢えをなくすことである**」と述べている。〉)
**教育**。
モスクワ農業大学。そして、**1913〜14年、イギリス**。
**ウィリアム・ベイトソン**(メンデルの再発見者の一人。「**遺伝学**(genetics)」という語を作った人物)に学んだ。
(**当時の、最先端の遺伝学である**。)
**法則**。
**1920年**、彼は「**相同系列の法則**」を発表した。
(近縁の種は、**似た変異の系列**を持つ。
——だから、**ある種で見つかった形質は、近縁の種にも、探せば見つかるはずである**。
〈メンデレーエフの周期表が、未発見の元素の性質を予言したのと、同じ発想である。実際、当時「植物学のメンデレーエフ」と呼ばれた。〉)
**遠征**。
**1916年から1940年まで**。
**64か国**。
(アフガニスタン、イラン、エチオピア、エリトリア、アルジェリア、モロッコ、シリア、パレスチナ、そして中南米——ペルー、ボリビア、ブラジル、メキシコ。
日本、朝鮮、台湾、中国。
——**極めて危険な旅である**。
〈1916年のパミールの旅で、彼は道に迷い、雪の中で数日を過ごした。
アフガニスタンでは、外国人がほとんど入ったことのない地域を回った。
エチオピアでは、皇帝ハイレ・セラシエに会っている。〉)
**集めたもの**。
**25万点以上**の種子と、標本。
(**当時、世界最大の植物遺伝資源の集積**である。
——レニングラード(現サンクトペテルブルク)の、**全ソ連邦植物栽培研究所**(VIR)に、収められた。
〈建物は、イサク広場に面している。いまも、そこにある。〉)
**理論**。
**1926年**、『**栽培植物の起源の中心**』。
**主張**——**ある作物の遺伝的な多様性が、最も高い場所が、その起源地である**。
(理由——**起源地では、長い時間をかけて、多くの変異が蓄積している**。
そして、そこから広がった先では、**持ち出された一部の遺伝子しかない**。)
彼が示した**中心地**(当初5、後に8、そして修正されている)。
1. **中国**(大豆、粟、蕎麦、桃) 2. **インド/東南アジア**(米、砂糖きび、柑橘) 3. **中央アジア**(小麦、豆、りんご) 4. **中東(近東)**(小麦、大麦、ライ麦、ぶどう) 5. **地中海**(オリーブ、キャベツ、えんどう) 6. **エチオピア**(コーヒー、テフ、大麦の一部) 7. **中央アメリカ**(とうもろこし、豆、かぼちゃ、綿) 8. **南アメリカ(アンデス)**(じゃがいも、トマト、キヌア)
(——**現在の研究は、彼の枠組みを修正しているが、基本的な発想は、いまも使われている**。
〈起源地と、多様性の中心が、必ずしも一致しないことが分かってきた。それでも、「多様性のある場所を探せ」という方法は、有効である。〉)
(**りんご**の例が、しばしば引かれる。
彼は、**カザフスタンのアルマトイ**の周辺の山に、**野生のりんごの森**があることを記録した。
——**現在の栽培りんごの祖先は、そこにある**(*Malus sieversii*)。
〈「アルマトイ」という地名は、「りんごの父」を意味する、としばしば説明される。語源としては議論があるが、この地域とりんごの結びつきは確かである。〉)
**ルイセンコ**。
**トロフィム・ルイセンコ**(1898〜1976)。
ウクライナの農民の出身。**正規の遺伝学の訓練を、受けていない**。
**彼の主張**。
- **獲得形質が、遺伝する**。(メンデル遺伝学の否定。) - **春化処理**(ヤロヴィザーツィヤ)——冬小麦の種を、低温で処理すれば、春に蒔いても収穫できる。そして、**その性質が、遺伝する**。 - **遺伝子は、存在しない**。
(——**科学的に、誤りである**。
〈春化処理そのものは、実在する現象である。ただし、遺伝しない。彼は、それを拡大解釈した。〉)
**なぜ、彼が勝ったか**。
**(1)政治的に、都合がよかった**。
(**環境を変えれば、生物が変わる**。
——**社会を変えれば、人間が変わる**、という思想と、整合する。
〈遺伝学は、「生まれつき決まっている」という含意を持つとされ、**ブルジョア的**、そして**ファシズム的**(優生学との連想)として攻撃された。〉)
**(2)彼は、成果を約束した**。
(**すぐに、収量が上がる**、と。
——**農業の集団化の失敗と、飢饉**〈1932〜33年〉の後である。
**党は、答えを必要としていた**。
〈ヴァヴィロフは、正直だった。育種には**10年から15年**かかる、と言った。
ルイセンコは、**2〜3年**でできる、と言った。〉)
**(3)そして、スターリンが、彼を支持した**。
**対立**。
1930年代、ルイセンコの影響力が拡大した。
ヴァヴィロフは、**公然と、彼を批判した**。
**1939年**、会議での彼の発言。
「**我々は、火あぶりにされるだろう。しかし、我々は、自分の信じることを、放棄しない**」。
**逮捕**。
**1940年8月6日**。
彼は、**西ウクライナ(当時ソ連が占領していた)で、採集の調査中に、逮捕された**。
(——同行者が、彼が車で連れ去られたのを見た。)
**尋問**。
**11か月**。
**取り調べは、400回以上**。合計**1,700時間**を超えた。
(彼は、当初、否認した。
**そして、拷問の後、自白した**。〈スパイ、破壊活動、反ソ組織への参加。〉)
**1941年7月9日**、**死刑判決**。
(後に、**20年の刑**に減刑された。)
**死**。
**サラトフの監獄**。
**1943年1月26日**。
**死因——栄養失調**。
**55歳**。
(**種子を集め、飢えをなくそうとした人が、飢えて死んだ**。
〈彼は、共同の墓に埋められた。正確な場所は、分かっていない。〉)
**その後**。
- **1948年8月**、ルイセンコが、**メンデル遺伝学を、正式に禁じさせた**。
(レーニン全ソ農業科学アカデミーの会議。
——**ソ連の遺伝学が、事実上、壊滅した**。
〈数千人の科学者が、職を失い、逮捕され、あるいは殺された。
そして、中国が、この理論を導入した。**大躍進**期の農業の失敗の、一因になったとされる。〉)
- **1955年**、ヴァヴィロフが**名誉回復**された(スターリンの死後)。 - **1964年**、ルイセンコが失脚した。 - 1968年、彼が集めた研究所に、**ヴァヴィロフの名が冠された**。
**そして**。
彼が集めた種子は、**戦争を、生き延びた**。
その話は、別に語られる。