概要
17歳で香料諸島へ、8年で帰った。アウグスティノ会の修道士になった。60歳で「帰り道」を探しに呼ばれた。北緯38度まで上がって偏西風で東へ。4か月。ウルダネタの道。250年、ガレオンが同じ道を通った。
本文
アンドレス・デ・ウルダネタ。 1508年。オルディシア。ギプスコア。 「軍。イタリア」。 1525年。ロアイサ。17歳。 「エルカーノの従者」。 「エルカーノが死んだ」。 「モルッカ。ティドレ。8年」。 「ポルトガルと」。 「1535年、ポルトガルの船で、リスボンへ」。 「日誌を、ポルトガルに取られた」。 「1536年、スペイン」。 「メキシコ」。 「1552年、アウグスティノ会」。 「44歳」。 「1559年、フェリペ2世。『フィリピンへの帰り道を』」。 「『私は、修道士』」。 「『行け』」。 「彼は、フィリピンでなく、ニューギニアへ行くべきだと言った。『フィリピンはポルトガルの側』」。 「トルデシリャス」。 「1564年11月」。 「57歳」。 「レガスピの顧問」。 1565年6月1日。セブ。「サン・パブロ号」。 「北へ」。 「北緯38度」。 「黒潮」。 「偏西風」。 「10月8日。アカプルコ」。 「4か月。14人が死んだ」。 「アロンソ・デ・アレリャーノが、サン・ルーカス号で、勝手に先に帰っていた。『私が最初』」。 「ウルダネタが、公式に」。 「1566年、スペイン。フェリペに報告」。 「メキシコ」。 1568年6月3日。 「トルナビアヘ」。 「帰り道」。 「1565年から1815年」。 「ガレオン」。 「マニラ、アカプルコ」。 「ウルダネタの道」。 「クリッパーも、この道」。 「いまの、船と飛行機も」。 「太平洋を、北で東へ、南で西へ」。 「彼が、最初に、書いた」。 「オルディシア。像」。 「ウルダネタ市。パンガシナン」。