レガスピ
概要
バスクの公証人。メキシコで書記官。60歳で艦隊を任され、1565年にセブ、1571年にマニラ。フィリピンの初代総督。「王フェリペの島」。自分の金を使い切って、貧しく死んだ。
本文
ミゲル・ロペス・デ・レガスピは、1502年頃、スペイン北部のバスク地方、ギプスコアのスマラガに生まれた。家は土地の下級貴族で、彼は法律を学び、公証人として身を立てた。

1528年頃、レガスピは大西洋を渡り、スペインの植民地ヌエバ・エスパーニャ(いまのメキシコ)に移った。メキシコ市で市参事会の書記官を務め、のちには造幣局の役職にも就いて、30年以上を植民地の役人として過ごした。結婚して多くの子をもうけ、地位も財産もある市民だった。航海や戦いの経験は、ほとんど無かったとみられる。
スペインは、太平洋の向こうの島々に足場を築くことを長く望んでいた。1521年、マゼランの艦隊は太平洋を横断して島々に着いたが(マゼランの太平洋横断)、マゼランはマクタン島で殺された。その後もスペインは何度か遠征隊を送り、1543年にはビリャロボスの遠征隊が、のちのフェリペ2世となる王子にちなんで、島々を「フィリピナス」と名づけた。だが、どの遠征も根を下ろせなかった。最大の問題は帰り道だった。太平洋を東から西へ渡るのは貿易風に乗ればよかったが、西から東へ戻る航路が見つからず、船はみなポルトガルの勢力圏を通るか、途中で失われていた。

1564年、メキシコの副王ルイス・デ・ベラスコは、新しい遠征隊の指揮をレガスピに任せた。60歳を過ぎた役人が選ばれたのは、同郷のバスク人で、かつて太平洋を航海した経験を持つアウグスティノ会の修道士アンドレス・デ・ウルダネタの推薦があったからだとされる。ウルダネタは航海の指南役として同行することになった。副王はその年に死んだが、遠征はそのまま進められた。
1564年11月、レガスピの艦隊は5隻、350人から400人ほどでメキシコの太平洋岸の港を出た。翌1565年1月にグアムに寄ってスペインの領有を宣言し、2月にフィリピンの島々に着いた。4月27日、一行はセブ島に上陸した。住民は抵抗して家々に火を放ち、逃げた。焼け跡の小屋の中から、スペイン兵が幼子イエスの木像を見つけた。44年前、マゼランがセブの首長の妻に贈ったものだった。この「サント・ニーニョ(聖なる幼子)」の像は、いまもセブのバシリカに祀られ、フィリピンで最も崇敬される像の一つになっている。

レガスピはセブの首長トゥパスと条約を結び、ここにスペイン人の町を築いた。フィリピンで最初のスペイン人の町である。6月、ウルダネタは1隻の船で北へ大きく回り込み、北太平洋の西風と海流に乗って東へ進み、10月にメキシコのアカプルコに帰り着いた。太平洋を東へ戻る航路がついに見つかったのである。この航路が、以後250年続くマニラ・ガレオン貿易の土台になる。
セブでの暮らしは苦しかった。食料は乏しく、香料の島々を自分たちのものと考えるポルトガルの艦隊が攻めてきてセブを封鎖した。レガスピは1569年、拠点を食料の豊かなパナイ島に移した。同じ年、スペイン王から総督の地位を認められた。

レガスピは、ルソン島に大きな港町があることを聞いていた。そこにはイスラームを信じる首長たちがいて、中国や日本の商人と交易していた。1570年、彼は孫のフアン・デ・サルセドと部将のマルティン・デ・ゴイティをルソン島へ送った。一行はマニラ湾の入り口に立つ首長スレイマンの砦を攻め落とした。1571年5月、レガスピ自身が艦隊を率いてマニラに入り、6月24日、ここを都市として正式に建設して、フィリピンの首都と定めた。抵抗を続けたスレイマンは、同じ年の戦いで戦死した。
マニラを拠点に、スペインはルソン島の各地へ兵を送り、征服した土地の住民をスペイン人に割り当てて税と労役を取り立てるエンコミエンダの制度を持ち込んだ。アウグスティノ会の修道士たちは布教を進めた。中国の福建の商人たちは、絹や陶磁器を積んだ船でマニラに来るようになり、メキシコの銀と交換した。アジアとアメリカとヨーロッパを結ぶ交易の結び目が、ここに生まれた(スペインのフィリピン支配)。

1572年8月20日、レガスピはマニラで急に倒れて死んだ。脳卒中だったとみられる。70歳ほどだった。遠征のためにメキシコの財産を使い果たし、残された金はわずかだったと伝えられる。遺体はマニラのアウグスティノ会の教会に葬られた。その教会は、のちに石造りで建て直されたサン・アグスティン教会として今も残り、彼の遺骨もそこに納められているとされる。2年後の1574年には、中国の海賊・林鳳(リマホン)の大船団がマニラを襲ったが、スペイン人はこれを退けた。
スペインのフィリピン支配は、1898年まで300年以上続いた。セブの港にはレガスピとウルダネタの記念碑が立ち、ルソン島南部にはレガスピの名を冠した市がある。一方、フィリピン革命以来、フィリピンの人びとにとってレガスピは植民地支配の始まりを告げた人物でもあり、マクタン島でマゼランを討った首長ラプラプが、外国の侵入に抗った最初の英雄として称えられている。