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Person / 人

栗林忠道

Tadamichi Kuribayashi
AD1891年7月7日 – AD1945年3月26日(享年53)
日本重要度 4

概要

長野の生まれ。アメリカに2年駐在し、車で大陸を横断した。「アメリカと戦ってはいけない」。硫黄島の司令官。万歳突撃を禁じ、地下に潜って持久した。家族に「玄関の隙間風を直しておくように」と手紙を書いた。最後は兵と共に突撃して、遺体は見つかっていない。

所属

日本

本文

栗林忠道。1891年。長野。松代。 長野中学。陸士26期。騎兵。 陸大。 1928年、アメリカ。ワシントン。武官補佐官。 車。「シボレー」。 「アメリカの工業を見た。日本は戦ってはいけない」。 カナダ。 1943年、東京。留守近衛第2師団。 1944年5月、父島。6月、硫黄島。第109師団。 「私は帰らない」。 「水際でなく」。 「地下」。 18キロの坑道。 「バンザイ突撃はしない」。 「一人十殺」。 「敢闘の誓」。 「我らは、最後の一人となるも」。 家族への手紙。41通。 「玄関の隙間風」。「太郎に」。「たか子に」。 2月19日。 「来た」。 36日。 3月16日、「玉砕」を報告。 3月17日、大将。 3月26日、夜明け前。400人。飛行場。 「将官の階級章を外していた」。 遺体は分からない。 「散るぞ悲しき」。辞世。 大本営が「口惜し」に変えた。「悲しき」では弱い。 2万1000人のうち1083人が生きて捕まった。 海兵隊。6821人が死んだ。 「アメリカの海兵隊で、最も敬意を払われた敵」。 2006年、イーストウッド。二本。「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」。渡辺謙。 2005年、日米合同慰霊祭。 毎年3月。 島は、いま自衛隊。 一般の人は行けない。 遺骨。1万人以上が、まだ島に。 滑走路の下。 「玄関の隙間風」。 妻は、直したかどうか。