概要
長野の生まれ。アメリカに2年駐在し、車で大陸を横断した。「アメリカと戦ってはいけない」。硫黄島の司令官。万歳突撃を禁じ、地下に潜って持久した。家族に「玄関の隙間風を直しておくように」と手紙を書いた。最後は兵と共に突撃して、遺体は見つかっていない。
所属
日本本文
栗林忠道。1891年。長野。松代。 長野中学。陸士26期。騎兵。 陸大。 1928年、アメリカ。ワシントン。武官補佐官。 車。「シボレー」。 「アメリカの工業を見た。日本は戦ってはいけない」。 カナダ。 1943年、東京。留守近衛第2師団。 1944年5月、父島。6月、硫黄島。第109師団。 「私は帰らない」。 「水際でなく」。 「地下」。 18キロの坑道。 「バンザイ突撃はしない」。 「一人十殺」。 「敢闘の誓」。 「我らは、最後の一人となるも」。 家族への手紙。41通。 「玄関の隙間風」。「太郎に」。「たか子に」。 2月19日。 「来た」。 36日。 3月16日、「玉砕」を報告。 3月17日、大将。 3月26日、夜明け前。400人。飛行場。 「将官の階級章を外していた」。 遺体は分からない。 「散るぞ悲しき」。辞世。 大本営が「口惜し」に変えた。「悲しき」では弱い。 2万1000人のうち1083人が生きて捕まった。 海兵隊。6821人が死んだ。 「アメリカの海兵隊で、最も敬意を払われた敵」。 2006年、イーストウッド。二本。「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」。渡辺謙。 2005年、日米合同慰霊祭。 毎年3月。 島は、いま自衛隊。 一般の人は行けない。 遺骨。1万人以上が、まだ島に。 滑走路の下。 「玄関の隙間風」。 妻は、直したかどうか。