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Person / 人

天璋院篤姫

Tenshōin (Atsuhime)
AD1836年2月5日 – AD1883年11月20日(享年47)
日本重要度 3

概要

薩摩の分家の娘が斉彬の養女になり、13代家定の御台所に入った。夫は1年半で死んだ。和宮と大奥で対立し、江戸攻めのとき二人で嘆願した。実家の薩摩が攻めてくる側だった。維新後も徳川家を守って、薩摩に帰らなかった。

所属

日本

本文

於一。 「かつ」。 1836年。 薩摩。 今和泉島津家。 分家。 斉彬の、 養女。 1853年。 「将軍家定の、 御台所に」。 「斉彬の、 政略」。 「家定の、 次を、 一橋慶喜に」。 「大奥から」。 「篤姫」。 1856年、 江戸城。 「近衛家の、 養女に」。 「藤原敬子」。 「御台所」。 家定。 「病弱」。 「言葉が、 不自由」。 「脳性麻痺」。 「そう、 言われる」。 「篤姫は、 慶喜を、 推した」。 「家定は、 慶福を」。 「井伊が、 大老に」。 1858年7月、 家定が、 死んだ。 「1年9か月」。 「篤姫は、 22歳」。 「天璋院」。 「落飾」。 「同じ月、 斉彬も、 死んだ」。 「養父と、 夫を、 同じ、 月に」。 「篤姫は、 薩摩に、 帰らなかった」。 「大奥に、 残った」。 「家茂の、 義母」。 「和宮」。 「京の、 慣習」。 「江戸の、 慣習」。 「二人は、 争った」。 「大奥は、 二つに」。 「家茂が、 死んだ」。 「慶喜」。 「篤姫は、 慶喜を、 嫌った」。 「大奥に、 入らせなかった」。 「慶喜は、 一度も、 大奥に」。 1868年。 「東征軍」。 「薩摩」。 「篤姫の、 実家が」。 「西郷」。 「篤姫は、 西郷に、 手紙を」。 「徳川の、 存続を」。 「『私は、 徳川の、 人。 徳川が、 滅びるなら、 私も』」。 「西郷は、 『天璋院様の、 お手紙』」。 「泣いた」。 「そう、 伝える」。 「江戸開城」。 「篤姫は、 大奥から、 出た」。 「一橋邸」。 「徳川家達」。 「6歳」。 「徳川の、 新しい、 当主」。 「篤姫が、 育てた」。 「千駄ヶ谷」。 「薩摩は、 『帰れ』」。 「帰らなかった」。 「『私は、 徳川の、 人』」。 「薩摩からの、 仕送りを、 断った」。 「徳川の、 金で」。 「貧しかった」。 「女中の、 給料を、 自分の、 着物を、 売って」。 「そう、 伝える」。 1883年11月20日。 「脳溢血」。 「47歳」。 「所持金、 3円」。 「家達が、 イギリスから、 帰った、 年」。 「上野の、 寛永寺」。 「家定の、 隣」。 「篤姫は、 夫と、 2年、 徳川と、 30年」。 「薩摩の、 娘が、 薩摩の、 兵から、 徳川を、 守った」。 「和宮は、 京の、 娘で、 京の、 兵から」。 「二人で」。 「仲が、 悪かった」。 「そう、 書かれている」。 「篤姫の、 側の、 記録は、 少ない」。 「和宮の、 側の、 記録が、 多い」。 「2008年」。 「大河ドラマ」。 「宮崎あおい」。 「篤姫は、 それで、 『強い、 女』に」。 「本当かどうか」。 「本当だった」。 「たぶん」。