スンギールの埋葬
概要
モスクワの東200キロ、氷期の狩人の遺跡。成人男性の墓と、頭を接して並べられた二人の子どもの墓が出た。三人が身につけていた象牙のビーズは、合わせて1万3000個を超える。マンモスの牙を削って一つずつ穴を開ける作業は、一個に45分から1時間かかると実験で見積もられた。全部で数年分の労働である。子どもの墓には、まっすぐに伸ばしたマンモスの牙の槍が添えられていた。狩猟採集の社会が、死者のためにこれだけを費やした。
場所
56.18°N 40.50°E · ロシア・ウラジーミル州
本文
スンギールは、モスクワから東へおよそ二百キロ、古い町ウラジーミルの郊外にある。1955年、粘土を掘っていた工場の作業中に骨と石器が出て、翌々年から考古学者オットー・バーデルが長い発掘を始めた。遺跡の年代は、測り方によって幅があるが、いまからおよそ三万四千年前から三万年前とされる。最後の氷期のさなかで、この緯度は寒く乾いた草原とツンドラだった。マンモス、ケサイ、トナカイ、野生の馬やバイソンが歩き回っていた。ヨーロッパではネアンデルタール人の消滅から間もない時代であり、ほぼ同じころ、はるか西のフランス南部では、洞窟の壁に馬やライオンやサイが描かれていた(ショーヴェ洞窟の壁画)。
ここに住んでいたのは、狩りと採集で暮らす現生人類の集団だった。畑も家畜も土器もない。季節に合わせて獲物を追う暮らしで、持ち運べないものは作らないのがふつうだと考えられてきた。ところが、この遺跡から出た墓は、その考えに合わなかった。

いくつかの埋葬のうち、際立つのが二つである。一つは四十歳前後とみられる成人の男性の墓、もう一つは二人の子どもを頭と頭を接して一直線に並べた墓だった。子どもは十歳から十二歳ほどと、九歳から十歳ほどとされる。長く少年と少女の組だと考えられてきたが、2017年に発表された遺伝子の分析で、二人とも男の子であった可能性が高いとされた。
三人の体を覆っていたのは、マンモスの牙を削って作った小さなビーズだった。成人の男性に約三千個、二人の子どもに合わせて約一万個、合わせて一万三千個を超える。ビーズは列をなして並んでおり、衣服に縫い付けられていたと考えられている。その並び方から、上着とズボン、帽子、靴を、体に合わせて縫って着ていたことが分かる。三万年前の衣服の形が、ビーズの列として地面に残ったのである。
ほかにも、穴をあけたキツネの犬歯が数百、象牙の腕輪、マンモスや馬をかたどった象牙の彫り物、円盤が見つかった。墓には赤い土(オーカー)が厚く撒かれていた。そして子どもたちの脇には、マンモスの牙をまっすぐに伸ばして作った槍が添えられていた。長いものは二メートル四十センチほどある。マンモスの牙は大きく反り返っている。それをまっすぐにするには、熱や水を使って曲げ直したか、太い牙から長い時間をかけて削り出したかのどちらかで、どちらにしても大変な手間がかかる。その技の中身は、いまも十分には分かっていない。
アメリカの考古学者ランドール・ホワイトは、同じ形のビーズを石器で実際に作ってみた。牙から小片を切り出し、形を整え、穴をあける。一個に四十五分から一時間ほどかかった。もっと短く済むとする実験もあり、見積もりには幅がある。それでも一万三千個となれば、単純に掛けて一万時間前後になる。一人が毎日休まず八時間働いて、四年から五年かかる計算である。もちろん大勢で分担しただろうが、獲物を追う暮らしの集団にとって、極めて大きな労働を死者のために差し出したことになる。
考古学者が繰り返し問うてきたのは、なぜ子どもなのか、という点である。副葬品が生前の手柄を表すのなら、まだ何も成し遂げていない子どもの墓は貧しいはずだ。ところが二人の副葬品は、成人の男性よりも多い。そこから、自分で得たのではない地位、生まれによって受け継がれる地位がすでにあったのではないか、という解釈が出てきた。もしそうなら、社会の上下の起源は、農耕の始まりより二万年以上もさかのぼることになる。食べ物を蓄えられるようになって初めて身分の差が生まれた、という長く信じられてきた筋道が、ここで揺らぐ。
反対の見方もある。年下の子どもは太ももの骨が短く湾曲しており、生まれつきの体の特徴を持っていた。二人は共同体にとって何か宗教的な意味を持つ特別な存在として扱われたのかもしれない。二人が犠牲として捧げられた可能性を指摘する研究者もいる。どの解釈も決め手はなく、議論は続いている。
2017年の分析は、もう一つのことを示した。コペンハーゲン大学などの研究チームが、ここに葬られた四人のゲノムを調べたところ、互いに近い血縁ではなかった。同じ遺跡に葬られ、同じ集団に属していたとみられる人々が、親子やきょうだいではない。研究者たちは、この人々が小さな集団を超えて配偶者をやり取りする広いつながりを持ち、近親の結婚を避けていたのではないかと考えている。
人類学者デヴィッド・グレーバーと考古学者デヴィッド・ウェングロウは、『万物の黎明』(2021年)でこの遺跡を大きく取り上げた(物語「『万物の黎明』で読む歴史」)。狩猟採集民は平等で素朴な暮らしをしていて、農耕が上下の差を生んだ、という筋書きは証拠と合わない、と彼らは言う。氷期の人々は豪華な墓を作り、のちにはギョベクリ・テペのような大きな石の施設を建て、季節によってまったく違う社会のかたちを取り替えていた可能性がある、という主張である。
一つだけ確かなことがある。三万年前、凍える草原で獲物を追って生きていた人々が、死んだ二人の子どものために、何年分もの手仕事を地面に埋めた。そして、その上に赤い土を撒いた。