できごと

二度に分かれた眠り

Segmented sleep
AD1600年頃
重要度 4
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このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1600年頃の版図を描いています(20勢力)。

概要

近代以前のヨーロッパで、人は夜、二度に分けて眠っていた。歴史家ロジャー・イーカーチが、日記、裁判の記録、医学書、そして文学から、数百の言及を集めた。日没後まもなく眠り、真夜中に一時間ほど目覚める。その時間に、祈り、語り、繕いものをし、隣家を訪ね、そして子を作った。医学書は、この覚醒を眠りの自然な一部として扱っている。18世紀以降、街の照明と夜の娯楽と労働時間の固定が、この習慣を消した。いま、夜中に目が覚めることは、不眠として扱われる。

場所

ロンドン
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド

本文

アメリカの歴史家ロジャー・イーカーチ(ヴァージニア工科大学)は、夜の歴史を書こうとしていた。電灯の無かった時代、日が暮れてから夜が明けるまでのあいだ、人々は何をしていたのか。その手がかりを古い文書から集めるうちに、彼は繰り返し現れる奇妙な言い回しに気づいた。「第一の眠り」と「第二の眠り」である。

この言い方は英語だけのものではなかった。フランス語にもイタリア語にも同じ表現があり、ラテン語には「第一の眠りの頃」を指す夜の時刻の呼び名があった。古代から近世まで、ヨーロッパのあちこちの文書に現れる。イーカーチはそれを日記、手紙、裁判の記録、医学書、農業の手引き、祈祷書、文学作品から拾い集め、500を超える例を見つけた。大事なのは、それらの多くが何の説明もなしに使われていることだった。当時の人にとってあまりに当たり前だったから、説明する必要がなかったのである。彼はこの発見を2001年に論文として発表し、2005年に夜の歴史をまとめた本『失われた夜の歴史』を出した。

かつての「第一の眠り」と「第二の眠り」の概念図
かつての「第一の眠り」と「第二の眠り」の概念図Wikimedia Commons JD Gale · CC0

史料から浮かび上がる近代以前の夜は、こんな姿をしている。日が沈んでしばらくした午後8時から10時ごろに床に就き、3〜4時間ほど眠る。これが第一の眠りである。真夜中ごろに自然に目が覚め、1時間ほど、ときには2時間ほど起きている。それからまた眠り、第二の眠りを経て、夜明けとともに起き出す。

真夜中の目覚めの時間に、人々はさまざまなことをしていた。まず祈った。15世紀のフランスの祈祷書には、第一の眠りの後に唱えるための祈りが収められている。同じ部屋で寝ている家族と話もした。当時、寝室は家族で共有するもので、一つの寝床に何人もが寝ることも珍しくなかった。目覚めたばかりなので、見た夢をよく覚えていて、その話もした。イーカーチは、この習慣が失われたことと、現代の人々が自分の夢から遠ざかったこととが関係しているのではないか、と考えている。

ほかにも、繕いものをし、糸を紡ぎ、火の番をし、家畜の様子を見に出た。第一の眠りの後で隣の家へ行き、話し込んだという証言も裁判の記録に残っている。

16世紀のフランスの医師ローラン・ジュベールは、子をつくるなら第一の眠りの後がよいと勧めた。一日働いて床に就いたばかりのときは疲れすぎているが、一眠りした後なら体も休まり、楽しむゆとりもある、というのが理由である。

ただし、この読み方には慎重な批判もある。たとえばイタリア語の「最初の眠り」は、単に「ぐっすり眠っている夜の早い時刻」を指す言い方として使われることもあった。すべての例が、眠りが二つに分かれていたことを示しているとは限らない。

まったく別の方向から、同じ像にたどり着いた研究者がいた。1990年代の初め、アメリカ国立精神衛生研究所の精神科医トーマス・ウェアは、被験者を1日14時間、暗闇の中で過ごさせる実験を行った。人工の明かりの無い冬の夜の長さを再現したのである。電灯のある暮らしでは、人は1日に16時間ほども明るい中で過ごしている。それを断つとどうなるのか。

数週間たつと、被験者たちの眠りは二つに分かれていった。4時間ほど眠り、1〜2時間ほど目覚め、また4時間ほど眠る。目覚めている時間、被験者たちは不安やいらだちではなく、瞑想に似た静かな心持ちだったと語った。血液の中では、授乳や安らぎに関わるホルモンのプロラクチンが高くなっていた。古文書の研究と生理学の実験が、互いを知らないまま同じ姿を描いていたのである。二人はのちに互いの仕事を知って連絡を取り合った。

この眠り方は、18世紀の後半から19世紀にかけて消えていった。第一の理由は明かりである。17世紀の後半からパリやロンドンには街灯がともり、19世紀の初めにはロンドンの通りにガス灯が並び始めた(ガス灯と夜の街)。アルガン・ランプのような明るいランプも家の中に入ってきた。夜が使えるようになり、床に就く時刻が遅くなっていった。

第二に、夜の社交が広がった。劇場、コーヒーハウス、サロンへ、人々は夜に出かけるようになった。それまで夜に出歩くのは危ないことであり、怪しいことでもあった。夜中に理由もなく通りを歩いていること自体が、取り調べの理由になりえた時代である。

第三に、働く時間が固まった。工場は決まった時刻に始まり、決まった時刻に終わる。朝決まった時刻に起きなければならないなら、眠りはまとめて取るしかない。そして第四に、時間を無駄にしないことが美徳になった。ベンジャミン・フランクリンは1748年に「時は金なり」と書き、早寝早起きは人を健康に、豊かに、賢くすると説いた。真夜中に1時間起きて話をしている時間は、「無駄」と見なされるようになった。

イーカーチの調べでは、第一の眠り、第二の眠りという言い回しは、19世紀の初めまではまだ文書に現れるが、19世紀半ばにはほとんど見えなくなる。やがてエジソンの白熱電球が家々を照らし、夜はさらに短くなった。

いま、夜中に目が覚めることは「中途覚醒」と呼ばれ、不眠の症状の一つとして扱われる。だがイーカーチとウェアの仕事は、それが必ずしも病ではないかもしれないことを示している。8時間続けて眠るべきだという考えは、比較的新しい決まりごとなのかもしれない。その決まりに合わないことに気をもみ、その焦りが本当の不眠を生む、という悪循環もありうる。睡眠医療の側から、夜中に目が覚めても慌てず、無理に眠ろうとしないように、という助言がよくなされるのは、この理解と矛盾しない。

もっとも、二つに分かれた眠りが人間の本来の姿だというのは、確立した定説ではない。2015年、アメリカの睡眠研究者ジェローム・シーゲルらは、タンザニアのハッザ、ナミビアのサン、ボリビアのチマネという電気の無い暮らしを続ける三つの社会で眠りを測ったが、二つに分かれた眠りははっきりとは見られなかった。ただし、これらはいずれも夜の長さが一年を通じてあまり変わらない熱帯の社会である。イーカーチの史料は、冬の夜が14時間を超えることもある北のヨーロッパのものだ。議論はいまも続いている。

それでも、確かに言えることが一つある。どう眠るのが正しいかという感覚は、時代によって違う。いま私たちが当たり前だと思っている一続きの眠りは、夜を明るくした照明と、朝の始業の時刻とが形づくったものである可能性が高い。

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