牛疫の根絶
概要
牛疫ウイルスは、数千年、ユーラシアとアフリカの牛を殺し続けた。1960年代、ウォルター・プロウライトが、冷蔵を必要としない弱毒生ワクチンを作る。それが決定的だった。電気の来ない土地でも運べる。国際的な接種計画が進み、最後の症例は2001年、ケニアのメル地区で確認された。2011年、国際獣疫事務局とFAOが根絶を宣言する。人類が根絶させた病は、天然痘と、これだけである。家畜の病としては、初めての根絶だった。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
本文
牛疫は、牛や水牛、一部の野生の偶蹄類がかかるウイルスの病気である。高い熱が出て、口や腸の粘膜がただれ、激しい下痢を起こして、免疫を持たない群れでは大半が死ぬ。人にはうつらない。だが牛が死ねば、畑を耕す力も、乳も肉も失われ、人が飢える。この病気は少なくとも二千年以上にわたって、ユーラシアとアフリカの牛を殺し続けてきた。
古い記録は各地にある。牛の群れとともに草原を移動する遊牧の民の西進は、しばしばこの病気をヨーロッパへ運んだと考えられている。18世紀のヨーロッパでは何度も大流行が起き、何百万頭もの牛が死んだ。その被害の大きさが、1762年にフランスのリヨンで世界初の獣医学校が開かれるきっかけの一つになった。獣医学という学問そのものが、牛疫との戦いから生まれたと言ってもよい。19世紀の終わりには、牛疫がアフリカに入り込み、大陸の牛の大半を殺して、牧畜に頼る人々に飢饉をもたらした(アフリカの牛疫)。

戦い方は、時代とともに変わった。最初の武器は、病気の牛の隔離と、まわりの牛ごとの処分である。18世紀初めにはイタリアの医師ランチージが、患畜の処分と移動の禁止を説いた。イギリスは1865年から67年の流行で、この方法を徹底し、数十万頭を失いながらも流行を抑え込んだ。確かに効くが、費用は莫大で、農民を破産させる。19世紀の終わりには、病気から回復した牛の血清を注射する方法が試され、1896年にはロベルト・コッホが南アフリカに招かれて対策に当たった。だが効果は一時的で、大量には作れなかった。20世紀前半には、ウイルスを山羊の体で何代も継ぎ足して弱めたワクチンなどが作られた。よく効いたが、品種によっては接種した牛が死ぬほど副反応が強く、しかも冷蔵しないとすぐに効き目が落ちた。電気の来ない内陸のアフリカには、運びようがなかった。
決め手になったのは、イギリスの獣医師ウォルター・プロウライト(1923〜2010年)の仕事である。ケニアのムグガにあった東アフリカの獣医研究所で、彼は1950年代の後半から、牛の腎臓の細胞を培養した中で牛疫ウイルスを何十代も育て続けた。代を重ねるごとに、牛に病気を起こす力は弱まり、免疫をつける力は残る。こうしてできたのが、組織培養による弱毒生ワクチンである。副反応はほとんど無く、一度の接種で生涯にわたって免疫が続く。凍結乾燥すれば保存もきく。のちに、暑い土地で冷蔵しなくても数週間効き目を保つ改良型も作られた。電気の無い土地の奥まで、ワクチンを運べるようになった。プロウライトは1999年、この業績で世界食糧賞を受けている。

1962年から、このワクチンを使ってアフリカの二十を超える国で大がかりな接種計画が進められ、牛疫はほとんど姿を消した。ところが計画が終わると接種がゆるみ、1979年ごろから西アフリカで再び燃え広がった。1980年代の流行は、何百万頭もの牛を殺した。この失敗から、国際社会は教訓を引き出した。抑え込むだけでは足りない。根絶を目標に掲げなければならない。1986年にアフリカ全体の計画が始まり、1994年には国連食糧農業機関(FAO)を中心に、世界から牛疫をなくす計画が動き出した。
やり方も変わった。年に一度、外から獣医がやって来て接種するだけでは、遊牧の民の群れに届かない。そこで牧畜民の中から人を選び、基礎的な訓練をして、彼ら自身にワクチンを打ってもらうようにした。スーダン南部やソマリアのような紛争地域では、とりわけこの方法が力を発揮した。いちばん難しかったのは、最後の段階である。病気がもう「いない」ことを示すには、牛の血を集めて抗体を調べ、疑わしい症例を見逃さずに報告する網を張り、何年も見張り続けなければならない。

最後に確認された感染は、2001年、ケニアのメル国立公園の近くで見つかった野生の水牛だった。その後、十年近く、どこからも報告が出なかった。2010年、FAOは野外での接種と監視の活動を終えると発表した。2011年5月25日、国際獣疫事務局が、すべての加盟国で牛疫が無くなったことを認め、同じ年の6月28日、FAOがローマで根絶を正式に宣言した。
人類が意図して地上から根絶させた病気は、二つしかない。1980年に根絶が宣言された天然痘(天然痘の根絶宣言)と、この牛疫である。どちらも、ジェンナーの種痘に始まるワクチンの歴史の到達点だった。ポリオはソークのポリオワクチン以来、根絶まであと一歩というところで、紛争や接種への不信のために長く足踏みしている。メジナ虫症はかなり近づいた。麻疹は根絶しうる病気とされながら、接種率が下がって各地で流行が戻っている。

牛疫の根絶が天然痘ほど知られていないのは、人の病気ではないからだろう。だがこの病気は、かつてアフリカの歴史を一度書き換えた。いまもウイルスの株は世界のいくつかの研究所に保管されていて、それをすべて処分すべきかどうか、保管の場所をどこまで減らすかが議論されている。天然痘のウイルスが抱えるのと同じ問題である。根絶は、病気を終わらせるだけでなく、二度と戻さないための管理を、終わりなく続けることでもある。