レム睡眠の発見
概要
シカゴ大学の大学院生ユージン・アセリンスキーが、眠る子どもの眼球の動きを記録した。装置は、指導者クライトマンの研究室にあった古い脳波計である。眠っている間、目が速く動く時間帯が、周期的に現れた。そのとき起こすと、多くが夢を見ていたと答えた。眠りは、一様な休息ではなく、構造を持つ過程である。彼は最初の被験者に、8歳の自分の息子を使った。論文は1953年の『サイエンス』に載った。睡眠が、科学の対象になった。
場所
41.88°N -87.63°E · アメリカ・イリノイ州
本文
人は人生の3分の1ほどを眠って過ごす。それなのに長いあいだ、眠りは「何もしていない状態」だと考えられてきた。脳も体も休み、活動が止まっている時間である、と。夢については『夢判断』のように心の側から論じる人はいたが、眠っている脳の中で何が起きているのかを、体の働きとして測る方法はなかった。
道を開いたのは脳波である。1924年、ドイツの精神科医ハンス・ベルガーは、人の頭の皮膚に電極を当て、脳が出すかすかな電気の揺れを記録した。最初の被験者の一人は自分の息子だった。彼は自分の結果に確信が持てず、発表したのは5年後の1929年である。ベルガーがこの研究に向かった背景には、若いころに落馬して死にかけたとき、遠く離れた姉がその危険を感じ取ったという体験があり、心が離れた人に伝わる物理的な仕組みを探していた、と伝えられる。彼の発見は初め信じられなかったが、1934年にイギリスの生理学者エイドリアンらが追試で確かめ、広く受け入れられた。目を閉じて落ち着いているときに現れる規則的な波、頭を使っているときの細かい波。脳の状態が、波の形として見えるようになった。

1930年代には、眠っている人の脳波も記録され始めた。1937年、アメリカの研究者たちは、眠りの深さによって脳波の形が変わることを示した。眠りには段階がある。しかしこの時点では、眠りはだんだん深くなり、朝に向かってだんだん浅くなる、なだらかな坂のようなものだと考えられていた。
この分野の基礎を築いたのが、シカゴ大学のナサニエル・クライトマン(1895〜1999年)である。ロシア帝国のキシナウ(いまのモルドバの首都)でユダヤ人の家に生まれ、迫害を逃れてアメリカへ渡り、ニューヨークで働きながら学んだ。1925年にシカゴ大学に移った彼は、睡眠だけを研究する研究室を開いた。当時、眠りはまともな研究の対象とは見なされていなかった。
クライトマンは自分の体を実験に使った。1938年には学生のブルース・リチャードソンとともに、ケンタッキー州のマンモス・ケーブの奥に32日間こもった。太陽の光の届かない洞窟で、一日を28時間とする暮らしに体を合わせられるかを試したのである。20代のリチャードソンはある程度適応したが、43歳のクライトマンは適応できなかった。体の中の時計(体内時計)の柔軟さが年齢で違うことを示す結果だった。自ら長時間眠らずに過ごす実験も行い、1939年には睡眠研究の最初の総合的な教科書をまとめた。
そのクライトマンのもとに、一風変わった大学院生がやって来た。ユージン・アセリンスキー(1921〜1998年)である。ニューヨークのブルックリンに生まれ、大学をいくつも中退し、社会福祉の仕事や歯学の勉強、戦時中の軍務を経て、学部の学位を持たないままシカゴ大学の大学院に入った。妻と幼い子を抱え、暮らしは極めて苦しかった。
クライトマンが彼に与えたのは、眠っている乳児のまぶたの動きを観察せよという、地味な課題だった。クライトマンは、まぶたの動きが眠りや注意の深さを映すのではないかと考えていた。アセリンスキーは何時間も赤ん坊の寝顔を見つめ続け、やがて気づいた。眠っているあいだに、まぶたの下で目がせわしなく動く時間帯がある。そしてそれは、周期的に現れるらしい。
目で見ているだけでは、一晩じゅう確かめることはできない。アセリンスキーは研究室の地下に眠っていた古い記録装置を修理し、頭の電極に加えて目のまわりにも電極を付けた。眼球は角膜の側と奥の網膜の側で電位が違うので、目が動けばまわりの電位が変わり、その動きを線として紙に書き取れる。被験者を雇う金はなかった。最初に眠ってもらったのは、8歳の息子アーモンドだった。息子は後年、父が電極を付け、隣の部屋で夜通し記録を取っていた夜のことを覚えていると語っている。
1951年の暮れから翌年にかけて、記録紙にそれが現れた。眠っているはずなのに、目が速く、不規則に動く時間帯が、一晩のうちに何度も周期的にやって来る。そのとき脳波は、深い眠りの大きくゆっくりした波ではなく、目覚めているときに近い細かい波になっていた。深く眠っているはずの脳が、活発に動いている。アセリンスキーは初め、古い装置の故障を疑い、何度も確かめ直した。
次に彼らは、その時間帯に被験者を起こしてみた。すると多くの人が、夢を見ていたと答え、その中身をくわしく語った。目の動かない時間帯に起こしても、夢の報告はずっと少なかった。目の動きと夢が結びついていたのである。
1953年9月、アセリンスキーとクライトマンの連名の論文が、アメリカの科学誌『サイエンス』に載った。睡眠中に規則的に現れる目の動きと、それに伴う現象を報告した、わずか2ページの論文だった。発表の当初、反響は小さかった。急速な眼球運動を英語の頭文字で表した「レム」という呼び名は、まもなく研究者のあいだに定着していく。
この発見を一つの分野に育てたのは、クライトマンの次の大学院生ウィリアム・デメントである。彼は一晩じゅうの記録を重ね、眠りが目の動かないノンレム睡眠とレム睡眠を、およそ90分の周期で4回から6回繰り返す構造を持つことを示した。夜の前半には深いノンレム睡眠が多く、明け方に近づくほどレム睡眠が長くなる。デメントは1970年、スタンフォード大学に睡眠の病気を診る診療所を開き、睡眠医学という分野の基礎を作った。
デメントは、眠らないと人はどうなるかにも立ち会った。1964年、アメリカの高校生ランディ・ガードナーが、11日間眠らずに過ごすという記録に挑んだとき、デメントは駆けつけて彼の様子を見守った。ガードナーは日がたつにつれて集中できなくなり、怒りっぽくなり、幻のようなものを見たが、挑戦を終えて長く眠ると回復した。のちに専門家たちは、このような危険な挑戦を勧めないよう呼びかけている。
レム睡眠の不思議は、ほかにもあった。この間、体の筋肉はほとんど力が抜けている。フランスの研究者ミシェル・ジュヴェは、猫の実験で、脳の奥の脳幹が体を動かす信号を止めていることを突き止め、脳は目覚めているように活発なのに体は動かないこの眠りを「逆説睡眠」と呼んだ。夢の中で走っても、体は動かない。この仕組みが壊れると、夢の中の動きを実際に体で演じてしまう病気になる。この病気が、パーキンソン病などの神経の病気の10年以上も前に現れることがあると分かってきている。
眠りの役割についての研究も広がった。眠っているあいだに、その日の記憶が整理され、定着することを示す研究は多い。2012年から翌年にかけては、眠っているあいだに脳の細胞のすきまを液が流れ、老廃物を洗い流しているという報告も出た。その老廃物には、アルツハイマー病にかかわるたんぱく質も含まれる。ただ、こうした仕組みのくわしいところは、いまも研究の途上にある。
発見者たちのその後は対照的だった。アセリンスキーはクライトマンとの関係がこじれ、睡眠の研究をほとんど続けずにシカゴを去った。別の研究所や医科大学を経て、小さな大学で教え、引退した。1998年、カリフォルニアで運転していた車が木にぶつかり、77歳で亡くなった。運転中に眠り込んだのではないかとも言われるが、確かなことは分からない。クライトマンは1999年、104歳で亡くなった。自分の研究室から始まった問いが、大きな分野に育つのを見届けた。
いま、眠りは公衆衛生の問題でもある。睡眠時無呼吸、不眠、夜勤や交代勤務、そして慢性的な寝不足。エジソンの白熱電球以来、夜は明るくなり、人はかつてより短く眠るようになったと言われる。経済協力開発機構の調べでは、日本人の平均睡眠時間は加盟国の中で最も短い部類に入る。眠りを測り、その仕組みを問う研究のすべては、1950年代の初め、8歳の子どもの目のまわりに電極が付けられた夜から始まった。