概要
1941年から900日近く、レニングラードは包囲された。市民100万人以上が死んだ。多くが餓死である。市の中心に、ヴァヴィロフが集めた種子の研究所があった。食べられる米、麦、豆、じゃがいもが、数十トン。職員は、それを守った。交代で不寝番に立ち、鼠を追い、そして手をつけなかった。米の担当者ドミトリー・イワノフは、米の袋に囲まれた机で死んだ。落花生の担当者も、じゃがいもの担当者も。記録に残るだけで、9人が餓死した。標本は、戦後、各地に配られた。
場所
59.93°N 30.36°E · ロシア
本文
**包囲**。
**1941年9月8日**、ドイツ軍が、レニングラードへの陸の道を断った。
**1944年1月27日**、包囲が解けた。
**872日**。
**死者**。
**市民の死者——推定100万人以上**。
(諸説あるが、**63万人から150万人**の幅で論じられる。
——**その大半が、餓死である**。)
**配給**。
1941年11月、**最低の時期**。
**労働者——一日 250グラム**のパン。 **扶養家族と子ども——125グラム**。
(——**そして、その「パン」の中身**。
小麦粉は、半分以下。
残りは、**セルロース(木のパルプ)、綿実の油粕、そして糠**。
〈それでも、それが唯一の食料だった。〉)
**起きたこと**。
- **馬、犬、猫、鼠、鳥**が、食べられた。 - **革**を煮た。**壁紙の糊**を舐めた。 - そして——**人肉食**の記録が、残っている。
(NKVDの記録に、この罪で逮捕された人数が記されている。
——**大半が、餓死を目前にした女性**である。)
**建物**。
**イサク広場、44番地**。
**全ソ連邦植物栽培研究所**(VIR)。
**ヴァヴィロフが、20年かけて集めた種子が、そこにあった**。
**25万点**。
(袋と、缶と、瓶に入って、棚に並んでいた。)
**そして——その多くが、食べられるものである**。
**米。小麦。とうもろこし。豆。落花生。**
そして——**地下の貯蔵庫に、じゃがいもの塊茎が、数千種類**。
(**数十トン**の、食用になりうる材料が、そこにあった。)
**決断**。
職員たちは、**それを守ることを、選んだ**。
(——**誰が、どう決めたか**の詳細な記録は、残っていない。
**組織的な決定というより、その場にいた人々が、それぞれ、そうした**、という理解がされている。)
**方法**。
- **部屋に鍵をかけ、封をした**。 - **交代で、不寝番に立った**。
(**盗みを防ぐため**。そして——**鼠を追うため**である。
〈鼠が、袋を齧る。飢えた鼠が、大量にいた。
職員は、**金属の板で棚を囲い**、そして**箱を、床から離して吊るした**。〉)
- **暖房がない**。
(——凍結を防ぐため、標本によっては、職員が**体で温めた**、という証言がある。〈裏づけの弱い伝承として扱うべき部分もある。〉)
- **爆撃で、建物が損傷した**。
(窓が割れ、雪が吹き込んだ。職員が、板で塞いだ。)
- そして——**発芽の試験**を、続けた。
(種子は、**放っておけば、発芽力を失う**。
**定期的に、蒔いて、殖やして、更新しなければならない**。
——**1942年の春、彼らは、市の郊外の畑に、種を蒔いた**。
〈砲撃の下で。そして、収穫して、殖やした標本を、また戻した。〉)
**死者**。
**記録に残るだけで、9人(一説に、それ以上)が、餓死した**。
- **ドミトリー・イワノフ**——**米**の担当。
**数千種類の米の袋に囲まれた、自分の机で、死んでいた**。
(——**袋は、開けられていなかった**。)
- **アレクサンドル・シュチューキン**——**落花生**の担当。
**机に向かったまま、死んでいた**。
(——**手に、落花生の入った袋があった**、と伝えられる。
そして、**彼が用意していた、同僚への手紙**が残っていたという。)
- **ゲオルギー・クリエル**——**アーモンドとナッツ**の担当。 - **リディア・ロディナ**——**燕麦**の担当。 - **アブラハム・カメラズ**、**オルガ・ヴォスクレセンスカヤ**——**じゃがいも**の担当。
(——彼らは、**地下の貯蔵庫**で作業した。
**そして、1942年の春、包囲下の郊外の畑に、じゃがいもを植えた**。
〈砲弾が落ちる中で、収穫した。〉)
- そして、他にも。
**戦後**。
**種子は、残った**。
(——**大半が、無事だった**。
一部は、爆撃と、湿気と、鼠で失われた。)
そして、**戦後、ソ連の農業の再建に使われた**。
さらに——**世界中の種子銀行に、複製が配られた**。
(**現在、世界の栽培品種の相当部分が、この収集に由来する遺伝子を持っている**、と評価されている。)
**その後**。
**研究所は、いまも、サンクトペテルブルクにある**。
**N・I・ヴァヴィロフ記念全ロシア植物遺伝資源研究所**。
**収蔵——約32万点**。
(**世界で、最も古く、最も大きい種子銀行の一つ**である。)
**そして、いま、危機にある**。
(**資金の不足**。設備の老朽化。
**2010年**、モスクワ近郊のパヴロフスク実験ステーション——**果樹と液果の、生きた収集**(畑に植えられた、5,000種以上の樹木)——が、**宅地の開発のために、収用されそうになった**。
〈**種子にできない植物がある**。りんご、いちご、すぐりの類は、**畑で育て続けるしかない**。
——世界中の研究者が、抗議した。
**2012年、収用は、当面、止まった**。しかし、決着はしていない。〉)
**そして、戦争**。
**2022年以降**、ロシアと西側の研究機関の協力が、断たれた。
(種子の交換と、共同の研究が、止まっている。)
**銘板**。
研究所の建物の壁に、銘板がある。
そこに、**餓死した職員の名**が、刻まれている。
(——**彼らが守ったものは、その時、誰の役にも立たなかった**。
**戦争が終わってから、役に立った**。
そして、いまも、役に立っている。)