蹄鉄
概要
蹄は角質で、伸びるが、擦り減る。乾いた草原では保つ。湿った土と石畳では、擦り切れて歩けなくなる。ローマ人は縄と革の沓を履かせていた。鉄の板を蹄に釘で打ちつける方法は、中世初期の北ヨーロッパに現れる。釘は蹄の外側の、神経の通わない部分に打つ。馬が重い荷を引き、硬い道を長く歩けるようになった。同時に、鍛冶屋が村に不可欠になり、装蹄という職業が生まれた。
場所
50.78°N 6.08°E · ドイツ
本文
馬の蹄は角質でできている。人の爪と同じケラチンという物質で、伸び続け、そして擦り減る。伸びる速さは、ひと月に数ミリから1センチほどである。乾いた草原では、伸びる速さと擦り減る速さがだいたい釣り合う。モンゴルの草原の馬は、いまも多くが蹄に何も着けずに暮らしている。
ところが、湿った土地では事情が違う。水を含んだ蹄は柔らかくなり、速く減り、割れやすくなる。石畳や固い道ではさらに減りが速く、重い荷を引かせれば蹄への負担は増す。蹄が傷めば、馬は歩けない。蹄が無ければ馬も無い、という英語のことわざがあるほどで、蹄をどう守るかは、馬を使う人々にとって切実な問題だった。

ローマ人は、「ヒッポサンダル」と呼ばれる鉄の沓を使った。蹄の下に鉄の板を当て、ひもや革で縛りつけるもので、遺物が数多く見つかっている。ただし外れやすく、歩き方も変わり、着けるのに手間がかかった。いつも履かせておくものではなく、傷んだ蹄を一時的に守るための道具だったと考えられている。東アジアでは、藁で編んだ沓を蹄に履かせた。日本では明治まで、これが普通だった。街道の宿場では馬の草鞋が売られ、擦り切れると取り替えた。
鉄の板を蹄に釘で打ちつける蹄鉄が、いつどこで始まったのかは、はっきりしていない。19世紀には、ケルト人がすでに使っていたという説が唱えられたが、その根拠とされた遺物の年代は後に疑われた。確かな証拠は中世の初めに現れる。9世紀から10世紀ごろの遺跡から釘穴のある蹄鉄が見つかり、900年ごろのビザンツ皇帝レオン6世の兵法書には、三日月形の鉄とその釘に触れた記述があるとされる。11世紀には、ヨーロッパで広く使われるようになっていた。

蹄鉄の技術の要は、釘を打つ場所にある。蹄の外側の壁は、神経も血管も通っていない。人の爪の先の白い部分と同じである。そこに釘を打つ。釘は斜め外向きに打ち込み、蹄の外側へ先を抜けさせ、それを折り曲げて留める。少しでも内側に打てば、生きた組織に刺さり、馬は脚を引きずり、傷は膿む。高い技量の要る仕事だった。しかも蹄は伸び続けるので、数週間から2か月ごとに蹄鉄を外し、伸びた蹄を削って打ち直さなければならない。
こうして、蹄を整え蹄鉄を打つことを専門にする職人が生まれた。英語では、鉄を意味するラテン語から来た言葉でファリアーと呼ぶ。鉄を打つ鍛冶屋とは、しだいに区別されるようになった。装蹄師は蹄を見立て、削り、打つ。そのためには、馬の脚の骨や腱の仕組みと、歩き方の知識が要る。中世を通じて、装蹄師は村の事実上の獣医でもあった。ただ、その知識は経験に頼ったもので、体系立ってはいなかった。18世紀にフランスのリヨンで最初の獣医学校が作られた背景には、馬の病を科学として扱う必要があった。

蹄鉄は馬の使い方を広げた。軍隊は硬い道を長く行軍でき、荷馬車は重い荷を遠くまで運べるようになった。蹄が地面をしっかり捉えるので、重い荷を引いて踏ん張れる。凍った道のためには、先を尖らせた突起の付いた蹄鉄も作られた。北ヨーロッパの湿った土地で馬を畑仕事に使えるようになったのも、蹄鉄のおかげが大きい。馬の肩に当てて引かせる首輪(肩で引く)と、この蹄鉄がそろって初めて、馬は重い犂を力強く引けるようになった。中世の農業の変化(中世の農業革命)には、こうした小さな道具の積み重ねがあった。
蹄鉄は、人々の暮らしの中で幸運のお守りにもなった。ヨーロッパでは、拾った蹄鉄を家の戸口に掛けると魔除けになるという言い伝えが広く伝わっている。鉄そのものに悪いものを退ける力があると考えられたこと、馬と鍛冶屋が村の暮らしを支える大切な存在だったことが、その背景にあるのだろう。

いま、蹄鉄をめぐっては議論がある。蹄鉄は蹄の本来の働きを損なう、と考える人々がいるのである。蹄は地面を踏むたびにわずかに広がり、脚の血液を心臓へ押し戻すポンプの役目も果たしているとされる。鉄で固めると、その働きが妨げられるという。いまの穏当な理解は、用途と環境による、というものだ。柔らかい地面で軽い仕事をする馬なら裸足でかまわないが、競走馬や硬い路面を歩く馬には蹄鉄が要る。樹脂を接着する蹄鉄や、着け外しのできる馬用のブーツも使われるようになった。
装蹄師という仕事は、いまも続いている。技術を身につけるには長い修業が要り、多くの国で人手不足が言われている。千年以上前に始まった、蹄の外側の神経の無い部分に釘を打つという工夫は、いまも馬とともに生きる人々の手の中で受け継がれている。