概要
12月5日から4日間、無風で気温が逆転し、家庭と工場の石炭の煙が地表に留まった。視界が数メートルになり、昼でも暗く、劇場は舞台が見えないので公演を中止した。牛が窒息死し、人が川に落ちた。当時の集計で死者4000人とされたが、後の推計では1万2000人に上る。それまでロンドンの霧は名物であり、風物として描かれてきた。1956年、大気浄化法。無煙燃料への転換と、煙を出す暖房の規制。都市の空気が、政策の対象になった。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
本文
**ロンドンの霧**。
長く、この都市の名物とされてきた。
**しかし、それは霧ではない**。
**スモッグ**である。
(**smoke** + **fog**。この語は、1905年、ロンドンの医師**ヘンリー・アントワーヌ・デ・ヴー**が作った。)
**原因**。
**石炭**。
- **家庭の暖炉**。ロンドンのほぼすべての家が、石炭を焚いていた。 - **発電所**。ロンドン市内に、複数あった(バタシー、バンクサイド——後者は、いまテート・モダン美術館になっている)。 - **工場**。 - **蒸気機関車**。
そして、当時のイギリスは、**質の良い石炭を輸出し、硫黄分の多い低質の石炭を国内で使っていた**。
(戦後の外貨不足のためである。輸出が、優先された。)
**歴史**。
- **1306年**、エドワード1世が、ロンドンでの石炭の使用を禁じる布告を出した(効果なし)。 - **1661年**、**ジョン・イーヴリン**が『**フミフュギウム、あるいはロンドンの空気と煙の不便の解消について**』を書いた。
(彼は、ロンドンの煙を「地獄の煙」と呼び、そして**産業を郊外へ移すこと**と、**街に木を植えること**を提案した。
チャールズ2世に献じられた。**採用されなかった**。)
- 19世紀、**エンドウ豆のスープ**(pea-souper)と呼ばれた。黄緑色で、濃い。
(**ディケンズ**の小説の冒頭に、繰り返し霧が現れる。『荒涼館』の冒頭は、その最も有名な例である。
**モネ**が、1899〜1901年、ロンドンで**国会議事堂の連作**を描いた。彼が描いたのは、霧を透かした光である。
彼は言った——「**霧のないロンドンは、美しくない**」。
〈——つまり、当時のヨーロッパ人にとって、これは**風景**だった。健康の問題として認識されていなかった。〉)
- **1873年**、**1880年**、**1892年**——それぞれ、濃いスモッグで、数百から千人規模の超過死亡があった記録がある。
(**認識されていなかった**。呼吸器の病で人が死ぬのは、冬の常であると考えられていた。)
**1952年12月5日**。
条件が、重なった。
**(1)無風**。
高気圧が停滞した。空気が、動かない。
**(2)気温の逆転**。
通常、上空ほど寒い。だから、暖かい空気は上昇し、煙を運び去る。
**この日、上空に暖かい空気の層ができた**。
**蓋になった**。
地表の冷たい空気と、そこに含まれる煙が、**逃げ場を失った**。
**(3)寒波**。
寒い。だから、**人々が、いつもより多く石炭を焚いた**。
**4日間**。
12月5日から、12月9日まで。
**状況**。
- **視界——数メートル**。
(自分の足元が見えない、という証言がある。
歩いている人が、道に迷って、**テムズ川に落ちた**。)
- **交通が、止まった**。バスと救急車が動けない。地下鉄だけが動いていた。 - **劇場が、閉じた**。
(**サドラーズ・ウェルズ劇場**で、『ラ・トラヴィアータ』の公演中、**客席から舞台が見えなくなり**、公演が中止された。)
- **屋内にも、入ってきた**。映画館のスクリーンが見えない。 - **家畜が、死んだ**。
(スミスフィールドの家畜市場で、牛が**窒息死**した。
——ある報告では、飼い主が牛の口にウイスキーに浸した麻袋をかぶせて、助けようとした。)
- **服と、皮膚が、黒くなった**。
**死者**。
**当時の公式の集計——約4,000人**。
(12月の第1週から、死亡届の数が、平年の**3倍**に跳ね上がった。
葬儀屋の棺が、足りなくなった。花屋の花が、売り切れた。)
**その後の推計——1万人から1万2,000人**。
(2001年以降の研究〈ベルら〉が、その後数か月の超過死亡を含めて再計算した。
——スモッグの数日後ではなく、**数週間から数か月かけて**、呼吸器と心臓の病で死んだ人が多い。)
入院と、呼吸器の障害を負った人——**10万人以上**。
**反応**。
**当初、政府は、これを重大視しなかった**。
(保健大臣**イアン・マクラウド**が、議会で「**これは、ただの霧である**」という趣旨の答弁をした、と伝えられる。
政府は、当時のインフルエンザの流行のせいだと説明しようとした。
——後の分析で、その年のインフルエンザの流行は、それを説明できる規模ではなかったことが示された。)
**世論が、動かした**。
新聞と、議員と、そして遺族。
政府は、調査委員会(ビーヴァー委員会)を設けた。
**1956年、大気浄化法**(Clean Air Act)。
内容——
- **煙規制地域**(smoke control area)を、自治体が指定できる。 - その地域では、**煙を出す燃料を、家庭で焚いてはならない**。 - **無煙燃料**(コークス、アンスラサイト、そしてガスと電気)への転換に、**補助金を出す**。 - 工場の煙突を、高くする。 - 発電所を、都市の外へ移す。
(**極めて重要な点**——これは、**家庭に、直接、規制をかけた**法律である。
工場だけではない。**各家庭の暖炉**を、変えさせた。
そして、そのために、**公費で転換を支援した**。)
**効果**。
**時間がかかった**。
- 1962年、**もう一度、大きなスモッグ**が起きた。死者、約750人。 - 1968年、法の改正。 - 1970年代を通じて、次第に減った。
(決定的だったのは、**北海の天然ガス**の開発である。1960年代後半から、家庭の燃料が、石炭からガスへ、急速に転換した。
**規制と、代替の燃料の供給が、揃って、初めて変わった**。)
現在のロンドンの冬の日照時間は、19世紀と比べて、**大幅に長い**。
(スモッグが、日光を遮っていた。)
**そして、いま**。
ロンドンの大気汚染は、**終わっていない**。
いまの主要な原因は、石炭ではなく——**自動車**である。
特に**ディーゼル車**の、窒素酸化物と、微小粒子(PM2.5)。
(2000年代、ヨーロッパ各国が、**二酸化炭素の排出が少ない**という理由で、ディーゼル車を政策的に優遇した。
——その結果、**別の汚染物質が増えた**。
2015年、フォルクスワーゲンの排出ガスの不正が発覚し、この政策の前提が崩れた。)
**2013年**、ロンドンで、**エラ・キシ=デブラ**という9歳の少女が、喘息の発作で死んだ。
**2020年**、検死審問が、**「大気汚染」を死因の一つとして、公式に認定した**。
**世界で最初とされる**。
(母が、7年かけて、再審査を求め続けた結果である。)
彼女は、幹線道路から**25メートル**の場所に住んでいた。
**世界**。
WHOの推計で、大気汚染による死者——**年間約700万人**。
(屋外の汚染と、屋内の汚染〈調理と暖房のための固形燃料の燃焼〉の両方を含む。)
そして、その大半は、**低・中所得国**にある。
1952年のロンドンで起きたことが、いま、別の場所で起きている。