概要
人口100万の都市が、ごみをほとんど出さなかった。専門の買い手がいたからである。紙屑買いが古紙を集めて漉き返す。灰買いが竈の灰を買い、肥料と洗剤と染色に回す。古着屋、鋳掛屋、瀬戸物の焼き接ぎ、樽と桶の箍の直し。そして下肥。人の糞尿を、近郊の農家が買い取り、野菜にして市中へ戻した。値段が付き、盗まれる事件が起き、権利が売買された。捨てるものに値段が付けば、誰かが拾う。それだけの仕組みである。
場所
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)
本文
**前提**。
18〜19世紀の江戸。人口、推定**100万人**。
同時期のロンドン(約90万)、パリ(約60万)と並ぶ、世界最大級の都市である。
そして——**周囲を、農村に囲まれている**。
**原則**。
**捨てるものに値段が付けば、誰かが拾う**。
江戸には、それを買う専門の職が、極めて多くあった。
**(1)紙**。
**紙屑買い**が、家々を回って、古紙を買う。
集めた紙を**紙屑問屋**へ売る。問屋が選別し、**漉き返し屋**へ。
漉き返した紙——**浅草紙**。
(灰色で、質は粗い。**落とし紙**〈便所紙〉と、包み紙に使われた。
浅草の山谷と、隅田川沿いで作られたので、この名がある。)
(**紙は、高価だった**。だから、反故紙が売れる。
そして——**手紙の裏に、次の手紙を書く**。書き損じを、子どもの手習いに使う。襖の下張りにする。
〈後世、古い建物の解体で、襖の下張りから、当時の帳簿と手紙が大量に見つかることがある。歴史学の史料になっている。〉)
**(2)灰**。
**灰買い**。
各家の竈と囲炉裏から出る灰を、買う。
用途——
- **肥料**(カリウムを含む。特に、桑と藍と煙草に効く) - **洗剤**(灰汁。油を落とす) - **染色の媒染剤**(藍染めに不可欠) - **酒造**(麹の管理) - **和紙の製造** - **陶器の釉薬**
**灰の売買は、大きな商売だった**。
(灰問屋があり、株仲間があり、そして**幕府が課税した**。
——**灰に、税がかかった**。それだけの規模の取引だった。)
**(3)下肥**。
これが、最も規模が大きい。
**人の糞尿を、近郊の農家が買い取った**。
(船と大八車で、農村へ運ぶ。畑に撒く。野菜が育つ。それを、また江戸で売る。)
**値段が付いていた**。
そして——
- **武家屋敷のものは、高い**(食事が良いから、肥料の質が良い、とされた)。 - 長屋のものは、安い。 - **長屋の下肥の権利は、大家(家主)のものだった**。
(店賃〈家賃〉の他に、これが大家の収入になった。
——だから、**店子が増えれば、大家の収入が増える**。)
- **権利が、売買された**。「**汲み取り株**」。 - **盗まれた**。
(記録に、下肥の窃盗の事件が残っている。夜、他人の長屋の便所から汲み取っていく。**捕まれば、罰せられた**。)
- **値上げをめぐる争いが、訴訟になった**。
(1789年、武蔵国の農民が、値上げに抗議して、江戸へ訴え出た記録がある。)
**(4)修理と、再生の職**。
- **鋳掛屋**——鍋釜の穴を、金属を溶かして塞ぐ。 - **焼き接ぎ屋**——割れた瀬戸物を、白玉粉と釉薬で接ぐ。 - **箍屋**——桶と樽の箍を、締め直す。 - **雪駄直し**、**下駄の歯入れ**——履物の底を替える。 - **傘の骨買い**——古い傘の骨を集め、紙を張り替えて売る。 - **提灯の張り替え**。 - **羅宇屋**——煙管の竹の管(羅宇)を替える。 - **鏡研ぎ**——曇った銅鏡を磨く。 - **研ぎ屋**——刃物を研ぐ。 - **古着屋**——**極めて多かった**。
(江戸の庶民が着るものの大半は、**古着**である。
新品の反物は高い。古着が何度も転売され、擦り切れれば、**おむつ、雑巾、そして最後に裂いて紐にする**。
——古着市場は、大規模だった。柳原の土手と、富沢町に、古着屋が集まっていた。)
- **蝋燭の流れ買い**——燃え残りの蝋を集め、溶かして作り直す。 - **古樽買い**、**古鉄買い**、**古傘買い**、**髪の毛買い**(かもじ〈付け毛〉にする)。
**(5)そして、拾う人**。
- **紙屑拾い**——道に落ちた紙を拾う。 - **拾い屋**——落ちているものは、何でも。
**なぜ、成り立ったか**。
**(1)物が、高い**。
(人件費に対して、材料が高い。だから、**直したほうが安い**。
——現代は、逆である。材料が安く、人件費が高い。だから、**直すより買い替えたほうが安い**。
この比率が、リサイクルが成り立つかどうかを決める。)
**(2)都市と農村が、近い**。
(下肥を運ぶには、距離が短くなければならない。江戸の周囲に、それを使う畑があった。)
**(3)人口密度が高い**。
(集める効率がよい。)
**(4)そして、鎖国**。
(外から安い材料が大量に入らない。国内で回すしかない。)
**評価**。
この仕組みは、しばしば「**エコロジカルな循環社会**」として称賛される。
**ただし、注意が要る**。
- **理念からではない**。**経済的に、そうしたほうが得だった**からである。 - **衛生の水準は、高くない**。下肥を使う農業では、**寄生虫**(回虫、鉤虫)が蔓延する。
(戦後、日本の学校で行われた検便と虫下しの投与は、この帰結である。1950年代、日本人の**7割前後**に寄生虫がいたとされる。化学肥料への転換と、衛生の改善で、1970年代までにほぼ消えた。)
- **コレラと赤痢の流行**が、繰り返し起きた。 - そして、**現代の物量とは、桁が違う**。
(江戸の人が一年に使う物の量と、現代人のそれは、比較にならない。同じ仕組みで、いまの都市を回すことはできない。)
**終わり**。
明治以降、この仕組みは、次第に消えた。
- **化学肥料**(硫安)が入り、下肥の値段が下がった。やがて、**汲み取りに金を払う**側になった。
(1950年代以降、下水道の整備とともに、下肥の需要は消滅した。
——**関係が、逆転した**。かつて売れたものが、処理費を払って捨てるものになった。)
- 紙と布と金属が、安くなった。修理する職が、成り立たなくなった。 - そして、**プラスチック**が来た。
**残ったもの**。
いくつかの言葉が、残っている。
「**もったいない**」——もとは仏教の語(勿体無い。物の本体を失う)。
2005年、ケニアの**ワンガリ・マータイ**(グリーンベルト運動でノーベル平和賞)が、この語を国連で紹介した。
「Reduce, Reuse, Recycle に、Respect を加えた語が、日本にある」。
(彼女は、この一語を、世界に広める運動を続けた。)